遺艦アステライア ~過労死サラリーマン、文明7つ先の遺産で飯を食う~ 過労で倒れた元社畜が目を覚ますと、宇宙最強の戦闘艦のマスターになっていた。 相棒は融通の利かない軍事AI。金はない、身分証もない、 あるのは500メートルの船と段ボール味の栄養ブロックだけ。 宇宙の片隅で、飯を食いながらぼちぼち生きていく話。 ※小説家になろうで連載予定。ブログでは先行公開中です。
第2話「呼吸するだけで金が取られる」
呼吸に課金するステーションがあると聞いたら、普通は近づかない。
モニターの向こうに、あの光の塔がある。
暗いブリッジに一人、椅子に沈み込んで画面を眺めている。琥珀色の開口部から豆粒みたいな船が出入りしていた。
自由港都市ポルト・ノーヴァ。呼吸するだけで金を取る街。
うちの船はその港の端っこに停まっている。琥珀色の光が届かない、暗い縁。未登録船専用バース、通称「迷子預かり所」。
IDがないから正規のバースを使わせてもらえない。ボロ船が係留アームにしがみついている中に、一隻だけ何にも繋がれていない黒い影がある。
係留アームなし。推進の明滅もなし。何にも繋がれず、ただそこに在る。
入港時、管制官が数秒黙った。黙るだろう、普通。
「マスター。先ほど救助した民間船より通信要請です」
ステラの声が、静かなブリッジに落ちる。
「繋げ」
モニターに映ったのは、垂れ耳の男だった。犬のように大きな耳が頭の横にぺたんと伏せている。目は真っ赤で、鼻水も拭けていない。隣にもう一人、小さめの垂れ耳をした娘がいた。
亜人だ。声だけ聞いた時は気づかなかった。この宇宙では、耳の形も顔の造りも人それぞれらしい。
「本当にありがとうございました、命の恩人様」
男の声が震えている。画面越しでも涙が光っていた。その横から、娘がぐいと顔を突き出す。
「あたしリナ! リナ・ラウルです! 船長さんのお名前は?」
「高峰遼。リョウでいい」
「リョウさん! うちの店が再開したら絶対来てね。星屑亭って言うの、メイン通り沿いで——」
「おう」
星屑亭。メイン通り。右から左に抜けていった。
通信の向こうで、男がまだ泣いている。
通信が切れた。
店の名前、もう忘れた。
◇
ステラが転送した。瞬きひとつ。ブリッジが消えて、足の下に金属の格子床があった。
振動がある。どこか遠くでエンジンが唸っている。油と、焼けた金属の匂い。空気が薄く冷えていた。
歩き出すと、もう隣にいた。ドック通路。冷たい空気に、自分の息だけが白い。ステラの口元には、何もなかった。
「息、しないのか」
「私の中枢は艦内にあります。これは実体投影——触れますが、端末にすぎません」
端末。よくわからないが、深く考えるのはやめた。
革靴が格子床を叩いて、乾いた音が天井に跳ね返る。整備工が磁気ブーツで中型貨物船の船腹を這い回っている。頭上の透過パネルに入出港スケジュールが流れていた。
壁の端末が、通りすがりに点滅した。
『ステーション内の滞在には仮IDタグの取得が必要です』
画面に従って操作すると、端末の横から薄いタグが一枚出てきた。
別の表示が出た。
『仮IDタグ発行。エア・タックス課金開始。残高:0クレジット。猶予:1時間。超過時、保安局へ自動通報』
1時間。息するだけで金を取る街の、1時間の猶予。
ポケットに手を入れた。指先に触れたのは2枚の薄いカード。社員証と、定期券。スーツと一緒にこの体に残っていた前世の遺物。端末にかざしてみる。
『未対応の規格です。有効なIDとして認識できません』
定期券も同じだった。
「だよな」
2枚ともポケットに戻した。
「マスター。強制退去後、再入港を拒否される可能性があります」
「つまり出たら二度と入れない」
「はい」
1時間。所持金ゼロ。最強の船はドックの外に浮いているが、それで空気税は払えない。
「マスター。解決策を三つ提示します」
「聞く」
「第一。港湾管理局のシステムにアクセスし、課金データを改竄します」
「犯罪」
「第二。港湾管理局を物理的に排除します。縮退砲の精密射撃で——」
鼓膜の奥——頭の内側に直接、警告音が刺さった。
同時に、体が沈んだ。足元の重力が一瞬ブレる。腹の底に鉛を流し込まれたような圧迫感。
ドックの向こう、宇宙空間に浮かぶ黒い繭。あれが、起きた。
「やめろ。今すぐ止めろ」
「停止しました」
提案と同時に照準プロセスが走る。実行には許可が要る。だがこいつの「準備」は、人間の感覚では「もう撃った」に等しい。
「第三。ステーション内の商業施設から必要物資を物質転送で直接回収します。検知される可能性は0.003パーセント以下です」
一瞬、黙った。こいつに任せれば全部片付く。前の世界で夢見た「全部どうでもよくなるボタン」が、目の前にある。
「……泥棒だろ」
「合法的な手段では、迅速な解決が困難です」
こいつには「社会」がない。法律も経済も知らない。最強の兵器を持ったまま、幼稚園児の常識で生きている。
「いい。俺が考える」
このステーションの外壁——宇宙空間に、まだ浮いているはずだ。海賊旗艦の装甲殻。保安局が乗組員23名を回収して、武装もエンジンも消えた空っぽの残骸。
「ステラ。あの海賊の報奨金、いつ出る」
「保安局の書類審査に10日と通知されています」
1時間の猶予に10日。話にならない。
——待て。報奨金は間に合わないが、あの残骸自体はまだ外壁に浮いている。
「ステラ。あの残骸に押収タグは付いてるか」
「付与されていません。残骸の処分権はマスターに帰属します」
「つまり売っていいんだな」
「はい。残骸の質量から推定されるスクラップ価値は約12万クレジットです」
「12万。充分だろ」
「素材価値です。装甲材は軍用規格でレアメタル含有率が高いものの、買取相場は9万前後と推定されます」
軍用規格、レアメタル。使える。
「空気税の初日は?」
「500クレジットです」
「余裕じゃん。——最寄りのジャンク屋を検索」
「このドック通り沿い300メートル先にスクラップ買取業者を確認。徒歩4分」
「走るか」
最強の船を持つ男が、空気代のためにスクラップを売りに走る。前世の自分が見たら何と言うだろう。いや、前世の自分も終電に走っていたから大差ないか。
ドック通り沿いのジャンク屋。店主はずんぐりした大柄な男で、太い指でパイプを咥えていた。
「外壁に軍用級の船のガワがある。武装なし、エンジンなし。スクラップで買ってくれ」
「見てもいないのに値段は出せんよ」
「時間がない。さっさと決めてくれ」
「急いでんだろ。5万」
「お待ちください。弊社——いや、こちらの船のスキャンデータですが」
店主がパイプを止めた。さっきステラに聞いた数字が、営業の口から勝手に出てきた。
「この装甲材は軍用規格です。溶かせばレアメタルが回収可能。御社の精錬コストを引いても利益が出ます。——9万。それで手を打ちませんか」
店主の眉が上がった。
「弊社?」
「癖です」
「見てもいない船に9万は出せんよ」
「ステラ。見せてやれ」
店の査定端末が明滅した。店主が触った覚えのない映像が、画面を占拠する。
ステーション外壁の定点カメラ映像。宇宙空間に、巨大な装甲殻が浮いている。ワイヤーなし。曳航船なし。ただ、そこにある。
「タグボートもなしにこんなモン浮かせてんのか。つうか俺の端末に何しやがった——いや、聞かねえ方がいいな」
店主はパイプを噛み直した。
「8万。運搬はそっちでやれ」
「やる」
「……乗った」
取引端末の画面が光る。
『登録者:タカミネ・リョウ。船籍:未登録。乗員:1名』
——1名。ステラはカウントされない。
残高に8万クレジットが入った。空気税500を即納。
「運搬先は」
店主が窓の外を顎でしゃくった。「裏のヤードに放り込んでくれりゃいい」
「ステラ」
「完了しました」
店主がパイプを咥えたまま窓を見た。裏ヤードに、巨大な装甲殻が鎮座していた。搬入ゲートは開いていない。タグボートも来ていない。
店主はゆっくりパイプを口から外した。
「兄ちゃん。あんた何者だ」
「通りすがり」
そう言いながら、ジャンク屋を出た。背中に、店主の声が追いかけてきた。
「また何かあったら来な」
振り返らなかった。ドック通路に戻り、人混みに紛れたところで小声でステラに告げる。
「ステラ、罰金の件。出港に支障出ないように処理しとけ」
「承知しました」
数秒。ステラが淡々と告げた。
「分割申請が受理されました。頭金として5万クレジットが即時引き落とされます」
「は?」
「残高:2万9500クレジット。なお、次回分割金の引き落としは翌月1日です」
8万稼いで5万持っていかれた。世の中、こういうものだ。知ってた。
「飯は食えるんだな?」
「下層食堂街の一食を200クレジットと仮定した場合、約147食分です」
「まあいいか」
金の計算はもういい。腹が減った。
「飯食える場所は」
「下層居住区に食堂街があります。重力昇降機が最短です」
「なんだそれ」
「重力制御式の垂直移動装置です。こちらに」
通路の突き当たりに、透明なチューブが縦に走っていた。直径は5メートルほど。中を人がゆっくり降りていく。重力の流れに乗って、足から吸い込まれるように。
足を踏み入れた瞬間、体がふわりと浮いた。
「おっ——」
靴底が床を離れる。ネクタイが首筋から浮き上がって、スーツの裾がばたついた。思わず体が前のめりになる。
下を覗いた。チューブの壁越しに、遥か下方まで吹き抜けが続いている。その底から琥珀色の光が昇ってきていた。温かくて、騒がしくて、生きている光だ。
「制御されていますので、落下の危険はありません」
「落ちる前提で喋るな」
隣を見た。ステラは髪の一筋も揺れていない。白いコートの裾も、黒い手袋の指先も、重力の変化など最初から存在しないかのように静止していた。

体が下へ流れていく。ドックの金属と油の匂いが薄れて、代わりに——何かを焼く匂いが昇ってきた。スパイスと脂と鉄。人が暮らしている匂いだ。
残高2万9500。ここから飯代と明日の空気税が引かれていく。のんびり観光している場合じゃない。
リフトを降りた先は、別の世界だった。
頭上の案内板が『DEEP — 下層居住区』と光っている。下層居住区。住民はこの一帯をそう呼ぶらしい。
見上げて、足が止まった。
天井がない。正確には、天井があるべき場所に——街があった。ビルが逆さにぶら下がっている。大小さまざまな建物が上から下へ向かって伸び、何百という窓に灯りが点いている。逆さの夜景が、頭上いっぱいに広がっていた。
——何だここ。

歩き出した。足元が淡く光る。踏むたびに波紋が広がるパネルが、脈動のように応答を返してくる。
すれ違う住民が二度見する。俺の黒いスーツ。そしてその後ろを無言でついてくる白い詰襟コートの少女。
「上層の貴族のガキか?」
ひそひそ声が聞こえた。ステラは反応しない。何も質問しない。白いコートが無言でついてくるだけだ。
気にしても仕方がない。それより——腹が鳴った。
メイン通りを歩きながら、食い物の匂いを探した。
通り沿いに、灯りの消えた店があった。星のマークの看板に「臨時休業」の札。星屑亭——さっきの娘が言っていた名前だ。親子はまだ帰れていないらしい。
通り過ぎた。踏むたびに波紋が走る発光床の色が変わっていく。歩くうちに青白かった発光建材のラインが琥珀色へ染まり、蒸気が濃くなった。油と焦げの匂いが、通りの空気ごと入れ替わる。
食堂街「胃袋」。
ゲートを潜った瞬間、匂いに殴られた。足元の波紋が赤銅色に変わる。肉が焼かれ、麺が茹でられ、得体の知れない液体が煮立っている。鉄板を叩く音と客の怒鳴り声が重なって、メイン通りとは空気の密度が違う。
路地の奥へ足が向いた。天井を太い配管が走っている。熱い。配管の表面から熱気が降りてきていた。
その配管の真下に、店があった。看板もない。折り畳み屋台が並ぶ中に、配管にボルトで直接固定された鉄板が3枚。カウンター席だけの、動かない店だった。
カウンターの向こうに立っている男の第一印象は、壁だった。見上げるほどの背丈。額から短く曲がった角が2本。赤黒い肌に、太い前腕を走る古い傷跡。
袖なしシャツにエプロン。鉄板の前で腕を組んだまま微動だにしない。
客が2人ほど席を立って出ていくところだった。鉄板を見下ろす目だけが苛立っている。
「ここ、何食える?」
振り向かなかった。
「今日は駄目だ。火が死んでる」
鉄板に手をかざしてみる。確かにぬるい。頭上の配管の弁をいじった跡があるが、温度は上がっていないらしい。
「ステラ。あの鉄板、何が原因だ」
耳の奥に直接、ステラの声が落ちてきた——内耳通信。「廃熱導管の流量低下です。上層の船が出港したため、熱源が減少しています」
「うちの船の廃熱、あそこに流せるか」
「本艦の縮退炉の廃熱を、物質転送で導管内に送れます。ご命令を」
「……やれ」
数秒。導管の中で何かが変わった。空気の質が変わった。
黒ずんでいた鉄板の表面から、油が薄く煙を上げ始めた。以前の温度を超えている。純度が違う。縮退炉の廃熱は、ドック船が垂れ流す排熱とは根本的に別物だった。
鬼人の男が手を止めた。弁には触っていない。温度だけが、勝手に戻っている。
男は1秒だけ鉄板を見つめた。それから、カウンターの下から肉の塊を引き出した。
分厚い肉が鉄板に叩きつけられる。
ジュウウウッ——。
脂が一瞬で弾けた。白い煙が天井まで駆け上がる。焦げた脂と肉の旨味が混ざり合った匂いが鼻を直撃して、胃が暴れた。周囲の席から顔が振り向く。
男は鉄板を見つめたまま、低く言った。
「……いい火だ」
それだけだった。
焼き上がった肉が、ステンレスの皿ごと目の前に置かれる。完璧な焼き色。鉄板の上に残った肉汁がまだ踊っている。
一切れ、口に入れた。
歯を立てた瞬間、中からじゅわっと肉汁が溢れた。塩気が濃い。だがそれがいい。段ボール味の栄養ブロックとは対極の、暴力的な味だった。
言葉が出ない。ただ手が止まらなかった。

「もう一枚焼くか」
「焼いてくれ」
2枚目も同じだった。
食い終わって、カウンターに肘をついた。腹が重い。いい重さだ。
「……あのさ、ステラ」
「はい」
「ここの飯、美味いよな」
応答が、半拍だけ遅かった。
「マスター。『美味い』の定義をデータベースに登録してよろしいでしょうか」
「好きにしろ」
変なやつ。まあいい。
仮タグをかざして400クレジット。男は顎で受けた。名前も聞かなかったし、向こうも聞かなかった。
ただ、店を出る時に振り返ったら、男はまだ導管の弁を見ていた。弁には触っていない。
食堂街の裏路地を抜けた。人目がない。ここでいい。
「ステラ。ここの座標を覚えろ。次からここに転送してくれ」
「登録しました。『マイ・ポイント01:ガストロ裏路地』」
「名前つけるな」
「名称を削除しますか?」
「いい。そのままでいい」
次の瞬間、裏路地に遼の姿はなかった。
音も光もない。最初からそこに誰もいなかったかのように。
——ただ、壁に寄りかかっていた小柄なフード姿が、目をこすっていた。
◇
保安局。中層と下層の境界にある狭いオフィス。
ヴァレリーは胃薬のボトルを開けながら、入港記録をスクロールしていた。デスクの上は書類の山。3つのホログラムモニターのうち1つはバグで固まっている。
『未登録船。名称:アステライア。自称「第七世代統合戦闘艦」。
所属:なし。登録ID:なし。乗員:1名。
備考:港湾至近での無許可転移。海賊旗艦を牽引して入港。
単艦で海賊を制圧との証言あり。乗組員23名拘束。死傷者ゼロ。
残存船団11隻、逃走。捕捉できず』
ヴァレリーはモニターの前で指を止めた。
「第七世代。データベースにも文献にもない艦種分類……何者だ」
ノックもなしに部下が入ってきた。
「下層の監視映像に異常です。搬入口付近、1フレームの欠落。人影が次のコマで消えています」
別のモニターに船舶区画の映像を呼び出した。船が出入りしている。その端、迷子預かり所と呼ばれる一角。
何も見えない。暗い宇宙があるだけだ。だが記録では、あそこに黒い船がいる。
「……幽霊船め」
次回:第3話「星屑亭のミートボール」(3月27日(金)頃公開予定)

