《転生およそ81日目・夜》
門の内側から駆けてきたセルマは、東門の上役の問いに答えなかった。
「|請人《うけにん》の話は後だ。父親の|止血帯《しけつたい》を見せな」
供の薬師二人が、門外の荷改め場へ灯りと湯を運び込む。セルマはヨナの首へ指を当て、呼吸と、太ももの布へ新しい血が広がっていないかを確かめた。
「この青い膜は後で聞く。今は冷えと失った血の方が怖い。止血帯を緩めるんじゃないよ」
「中で診られるか」
「寝台を一つと、娘の簡易寝床を空けた。この親子は、わたしが受ける」
セルマは門帳の受入欄へ|施療《せりょう》院の印を押した。
隣の請人欄だけが、白いまま残った。
「請人にはなれない。治療費と、退く時の運び賃は商会で持つ。別の紙にしてくれ」
東門の上役が|頷《うなず》く。
「あんたの任命状で請けられるのは、リヒト村の戸帳にいる者までだ。銭を払う紙と、二人の逃亡や損害を背負う名は別になる」
四十日前と同じ規則だった。
ネルが、血の付いた割り木を両手で差し出した。
「これは、仕事をした印じゃないの」
「そうだ。今日、お前たちが青い紐の荷を運んでいた証にはなる」
「じゃあ、どうして入れないの」
上役は子供から目を逸らさなかった。
「今日の働きは証せても、明日からの二人を誰が連れ戻すかまでは書いていないからだ」
ネルの指が、割れ目を強く挟んだ。
|担架《たんか》の上で、ヨナの灰色の耳が動く。
「ネルも……一緒に」
「二人とも受けるよ」
セルマが毛布を掛け直した。
「だから、あんたは息をしな。娘へ話をさせるんじゃない」
門の上役は割り木の荷主印を読み、走者を二人出した。一人は|小間物商《こまものしょう》の店へ。もう一人は商人組合へ向かった。
待つ間にも、セルマの指はヨナの脈から離れなかった。
◇
先に来たのは、初売りの十個を買った小間物商だった。
上着を羽織っただけの姿で、ネルの割り木に刻まれた荷主印を灯りへかざす。
「俺が頼んだのは、東の荷宿までの運びだ。御者へ人足代も預けた。だが、この二人とは今日まで口も利いたことがない」
「請人にはならないと?」
上役の問いに、男は唇を結んだ。
「六銅の仕事を頼んだからといって、逃亡の|科料《かりょう》も、城内で壊した物も、店へ掛けられたら商いが潰れる。知らない二人を請けるとは言えん」
俺は、男を責められなかった。
男は銅貨六枚を数え、ネルの前へしゃがんだ。
「御者へ渡した分は、見つかってもあの男の遺品にする。これは、お前たちが坂を押した分だ。着かなかったのは、お前たちが逃げたからじゃない」
ネルは銅貨へ手を伸ばさず、ヨナを見た。
「受け取りな。父親が起きたら、仕事の銭だと言えばいい」
セルマに促され、ネルが一枚ずつ|掌《てのひら》へ載せた。
東の道から車輪の音が近づいた。
空荷車の一台目には、ガルムとミア、それに脚を噛まれた|道路方《どうろかた》の男が乗っていた。
二台目では、御者の身体が道路方の運搬板へ固定され、雨覆いを掛けられている。
「たいちょう。みんな、きた」
荷車から降りたミアが、俺の上着を掴んだ。耳当ての下に、乾いた血が一筋だけ付いている。
「怪我は」
「ない。ガルムも」
「|儂《わし》より先に、残った獣の数を聞け。四つとも東へ抜けた。騎兵が足跡を見届けとる」
噛まれた男はそのまま薬師へ渡され、先に来た道路方二人と一緒に仕事札を改められた。御者の身体は門役の記録へ移り、遺品袋には別の封が付く。
買主の青い紐を結んだ|白鹸《しろけん》は、八個とも回収車の小籠にあった。俺の百六個へ戻る品ではない。
小間物商は八個を数え終えると、御者を覆う布の前で帽子を取った。
そこへ、バルツァーが組合書記を連れて現れた。
「白鹸十個の荷に、死人一人と怪我人五人か。随分と高い初売りになったの」
老人は俺を見ず、まずセルマへ|訊《き》いた。
「何日要る」
「最初の七日だ。それで運べなければ、期限の前にわたしが理由を書く」
「二人を院内から勝手に出さんな?」
「診療と寝床は、わたしが預かる。娘だけを外へ出すこともしない」
次に、バルツァーはネルの前へ立った。
「父親と施療院へ入るか。まず七日、売り買いも仕事もできん。薬師がまだ運べぬと言えば、七日目までに印を取り直す。それでも入るかの」
「父さんと一緒なら」
「よし」
ヨナの目が細く開いた。
「娘を……担保にするなら、入らない」
「娘は取らん。儂が請けるのは、二人が期限まで施療院におり、出る時に門へ顔を出すことじゃ」
老人の声は、子供へ話す時も変わらなかった。
「逃げれば儂が科料を払う。城内で物を壊せば、儂の名へ請求が来る。治療費とは別の話じゃ」
「それなら……頼む」
ヨナが小さく頷いた。
バルツァーが、ようやく俺を見る。
「若いの。運び賃では足りん。札が切れた時、誰が二人をここへ戻す」
「俺が戻す。最初の七日の診療、寝床、二人の食事も払う。施療院がまだ動かせないと書くなら、一度は延ばす。合わせて金貨一枚を上限にする」
「故意に逃げた科料までか」
「それは載せない。俺が請人になったのと同じになる」
「分けられるなら、紙へ書け」
紙一枚に銅貨五枚。組合書記は、患者、受入先、支払う者、上限、清算日を一行ずつ置いた。
俺は施療院へ銀貨二十枚を仮に預けた。使わなかった分は返す。日ごとの明細を付け、七日目に一度精算する。
組合書記が、父娘の返済欄へ横線を引いた。
入市税は耳持ち二人ぶん、銅貨八枚。治療の札でも、門の決めた額は変わらなかった。
「あんたが払うのは銭じゃ」
バルツァーが、請人欄へ|天秤《てんびん》の印を押した。
「儂が払うのは名じゃ。混ぜるな」
「なぜ、請ける」
小間物商が訊いた。
「組合員の荷を、組合員の銭で雇われた者が押した。荷が届けば組合の商い、血を流した時だけ余所者では、明日から誰も荷を押さん」
セルマの受入印。バルツァーの請人印。別紙には俺と施療院の印。
東門の上役が、ヨナとネルの名を刻んだ医療札を二枚切った。
「期限は八十八日目の日暮れ。許すのは東門と施療院の間だけ。働くこと、売ることは認めん。退く時はここへ戻る。延ばすなら、期限までに施療院と請人の印を取り直せ」
書記が門帳へ同じ期限を刻む。
「医療札二枚。担架が先だ。潜り戸を開けろ」
|閂《かんぬき》が上がった。
開いたのは、担架と担ぎ手が通る幅だけだった。
セルマの供二人が担架の前後を持ち、ヨナを門の内側へ運ぶ。ネルは父親の上着を握り、離れずに潜り戸を越えた。
施療院の寝台へ移したあと、空になった担架は門外の荷改め場へ戻された。
四十日前、二人は同じ場所から背を向けた。
今夜は、二枚の札を持って中へ入った。
◇
道路方の三人には、傷を洗う湯と温かい|粥《かゆ》が渡った。無傷の男と肩を浅く裂かれた男は道路方の宿所へ、脚を噛まれた男は施療院へ、それぞれ寝床を得る。
ネルは粥を食べ終え、父親の脇の簡易寝床で毛布にくるまった。ヨナはセルマの指示で食を止め、唇だけを湯で湿らせている。
最後まで残っていた|咬傷《こうしょう》の男が木|椀《わん》を空け、毛布の上へ横になった。そこで、画面が開いた。
【人命救助(平時)×5:+500AP】
【現在残高:32,405AP】
狼を倒した分ではない。あの窪みから、生きていた五人を安全な場所まで運び切った分だった。
衛生兵の|背嚢《はいのう》は、止血帯と包帯、保温材が減っていた。人数を引き算して残りを決めず、使った品を一つずつ数える。
【衛生兵背嚢・再補充:-100AP】
【現在残高:32,305AP】
補充品を背嚢へ戻した。回収した二床の担架は、汚れを落として乾かし、残った救急具と一緒に格納庫へ戻す。ガルムの大剣には、門番が新しい封紐を巻いた。
M4を格納庫へ戻す前に、装着弾倉と薬室をもう一度確認した。使ったのは九発。総数は百七十五発のままだ。
HMMWVの荷台に残った固定帯を外し、血の付いた床を湯で洗って乾いた布で拭く。門の上役が車体を一周し、目撃時刻と用途を書記に刻ませたあと、車体は光の中へ消えた。
今度は、消えるところも見られた。
◇
《転生およそ82日目》
一の鐘。城の小会議室へ出した報告は、短くはならなかった。
東門外で鉄の馬車を出したこと。第七杭まで東へ走ったこと。俺が九発撃ち、狼型魔物を三体、ガルムが一体倒したこと。四体を東へ逃がしたこと。御者一人が死亡し、生存者五人のうち四人を先に運んだこと。
柔らかい路肩で切り返し、深い|轍《わだち》を残したこと。
リーゼロッテは、書記が最後まで刻むのを待った。
「見た者は、何人ですの」
「出した時は六人目から数えていません。現場と戻った後は、もっと多い」
「隠せますか」
「無理です」
「結構。人数は〈多数〉と記録なさい」
扇の先が、報告の末尾へ触れた。
「救助を責めているのではありませんわ。何を見せ、どこを傷めたかを、貴方の名で残しなさい。道の費用は道路方が測ってから決めます」
「分かりました」
「もう一つ。昨日、報せが門へ着くまで一刻近く掛かりました。次も走らせますの?」
道路方の頭が、城下と第七杭の間の板図を開いた。
「第七杭から、昼と日暮れ前に無事の白旗を上げる。上がらなければ騎馬を出す」
俺が言うと、男は板図の盛り上がりを指で叩いた。
「第七杭は、門塔から見えません。石切り場の尾根なら見える。あそこへ二人一組で置けば、普請場の札も受け取れます」
「なら、そこで試す。旗がないだけで襲撃と決めず、騎馬を確認へ出す」
「二の鐘と、五の鐘。砂時計が落ちる間だけ上げます。霧の日は最初から騎馬を回す」
「東へ抜けた四匹もいます。今朝の試験には騎兵二人を添え、旗手を一人にはしません」
リーゼロッテが道路方の頭を見る。
「まず三十日。東門と道路方の仕事として試しなさい。二人と布の費用は領家の道路勘定へ。商人どのの思いつきだけで、街の決まりにはいたしません」
「異存ありません」
「結構ですわ」
二の鐘、東門塔へ上がった。
石切り場の尾根は、肉眼では灰色の線にしか見えない。やがて、その上に白布を継いだ大旗が開いた。
門の書記が、二の鐘の欄へ印を付ける。
旗は獣を止めない。
次に上がらなかった時、誰かを走らせる時刻を早めるだけだ。
東門|番所《ばんしょ》の割り札と引き換えに、白鹸百六個と帰路荷を受け取った。小間物商の十個は、城内二個、回収された八個のまま、買主の帳簿へ残る。
門外でM4と予備弾倉を出してからHMMWVを出し、荷を固定する。燃料は減っていたが、新しい補給は入らない。
白旗がまだ尾根に見えるうちに、三人で東街道へ出た。
◇
《転生およそ95日目・朝》
商人組合の|早馬《はやうま》が、リヒト村へ着いた。
封は二つあった。一通は東門の記録の写しだ。八十八日目、ヨナがまだ長い道を運べず、セルマとバルツァーの印で医療札を一度延ばした。
九十一日目には荷車で運べるとの判断が出て、父娘は東門から外市へ戻ったという。医療費はまだ精算中だった。
もう一通の書付は四日前の日付だった。添えられた小箱には、白い石鹸が一個入っている。
表面には、木印で〈六〉が押されている。
〈リヒトの白鹸を名乗る品で、客が手を傷めた。番号は六。組合帳の正規十個は仮止めした。六が真正か、早馬で返答せよ〉
一番、二番、四番、五番。
俺たちが作った商品釜は、それだけだ。
六番釜は、ない。
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【第19話 収支(AP)】
期首 31,905
収入 +500
人命救助(平時)5人 +500
支出 -100
衛生兵背嚢・再補充 -100
期末 32,305
累計 95,805/システムLv3
【現地通貨】
期首 銀貨25枚+銅貨7枚
支出 銀貨20枚+銅貨13枚
施療院への仮預け 銀貨20枚
父娘の入市税 銅貨8枚
医療費約定の紙 銅貨5枚
自由現金 銀貨4枚+銅貨14枚
※施療院へ銀貨20枚を上限全額として先に預けました。第95日目時点では費用控除を精算中で、返還額は未確定です。上限を越える処置や二度目の延長には、新しい紙と追加の前預けが必要です。
※父娘へ借金は置いていません。村共有金、女衆の賃金、事業予備3金、供託20金には触れていません。
※ネルが受け取った人足代6銅は父娘の財産であり、拓真の収支には含めません。
【主な状態変化】
・ヨナとネルは、第88日目の日暮れまでの期限付き医療札で施療院へ入りました。
・第88日目、セルマの理由書、バルツァーの再署名、門役の再決裁により、医療札を七日延長しました。
・第91日目、セルマが荷車での移送を認め、父娘は東門から外市へ退出しました。医療札とバルツァーの請人責任は閉じ、施療院費の精算だけが残っています。
・バルツァーが請人、セルマと施療院が受入先、リヒト商会が治療・食事・退去輸送の実費負担者です。
・道路救助の生存者5人へ安全、必要な手当て、水・食事、休息が揃ったため、平時救援として計上しました。第18話の戦闘下救助や治療提供は重ねていません。
・5.56mm弾は175発、白鹸の商会在庫は106個で変動なしです。
・帰村走行でHMMWVの燃料が再び2割未満となり、次回出庫用90L・45APを予約中です。本話末APからは未控除です。

