第3話 二・五トンの配達 転生特典は米軍払い下げ?〜弾丸1発1ポイント。ハンヴィー1台から始める異世界軍事立国、気づけばイージス艦まで揃ってました〜

《転生1日目・夜》

 村まで、四キロ。足回りを壊さず森を下れば二十分、車軸を折る速さなら十分。

 だが、壊れた車は燃える村へ一秒も早く着かない。

 俺は床まで踏みたがる右足を、アクセルの半ばへ何度も押し戻した。

 ハンヴィーは根と石を踏むたびに跳ね、頭上では空の銃架が乾いた金属音を立て続けている。

 手持ちは740APと、弾が四十五発。敵は、おそらく昼の|斥候《せっこう》どもの本体。姿も数も、まだ確かめていない。

 群れの規模は、十数体から数百体——アルマの記録はそう言っていた。一番少ない十数体でも、五発に一体の今日の腕では七十発仕事だ。

 弾が足りない以前に、撃っている間に囲まれる。

 ここにM240があれば、一方的に|薙《な》ぎ払えた。四千APの機関銃は、残高でもレベルでも手が届かない。

 ないものを数えるな。あるものを数えろ。

「アルマ。今の俺が持っている物で、一番火力があるのは何だ」

『M9です』

「違う」

 俺はダッシュボードを|掌《てのひら》で叩いた。

「こいつだ。二・五トンの鉄の塊。道さえ開けば、アクセルを最後まで踏める」

『車両による衝撃殺傷。有効です。ゴブリンの骨格強度は人間の子供程度。ただし、衝突による車両損耗は事前に算定できません』

「構わない。弾は減らない。修理代は、間に合った後で払う」

「アルマ。|手榴弾《しゅりゅうだん》を十個。それと個人医療キットを一つ。助手席に」

『決済しました。手榴弾300AP、個人医療キット50AP。残高、390APです。ご安全に』

 助手席の足元に、緩衝ケースと小さな医療袋が現れた。残高の半分近くが、一言で消えた。

 それでも、燃える村へ武器だけ持って着くのは救援じゃない。中に生き残りがいるなら、包帯を使う相手もいる。

 手榴弾の十個は、群れが二方向へ割れても投げ分けられる数だ。車が止まった時の退路にもなるし、余れば次の在庫になる。

『進言します。所有者は本日、初めての戦闘を経験したばかりです。連続戦闘は推奨されません』

「却下だ。双眼鏡で見た小さな影は、人の子かもしれない。確かめるまでは、戻れない」

『……記録します。却下、と』

 前世で、一度だけ、荷を届けられなかったことがある。大雪の峠で四トン車が立ち往生し、病院向けの医療品を積んだ代替便は翌朝になった。

 その先を、俺は教えてもらえなかった。

 教えてもらえなかったことが、答えみたいなものだった。

 配達は、間に合わせるものだ。だから今夜は、間に合わせる。

 森が切れた。畑の間の一本道が、前照灯の先へ真っ直ぐ伸びている。

 ここからは踏める。アクセルを床まで押し込み、二・五トンを一気に加速させた。

 谷あいの畑の向こうに、村が燃えていた。火明かりを背にして、開いたままの門が黒く抜けて見える。

 東寄りの家々と納屋は炎に包まれ、火の粉が夜空へ噴き上がっていた。焦げた臭いが、閉めた窓の内側まで満ち始めている。

 視界の隅に、赤が灯り始めた。

『検知範囲が村に届きました。敵性反応、三十——四十——四十六で増加停止。すべて脅威度E、ゴブリン級です』

 目で数えるより先に、システムが数え終えた。

 四十六。弾は、四十五発。一発で一体沈めても、一体残る勘定だ。

「配置は」

『四十あまりが村の最奥、大型の石造建築の正面に密集しています』

「その石の建物の中はどうだ。生きている人間はいるか」

『指定範囲を照会。複数の生存反応が、建物内に集中しています』

 石の建物に、人が籠っている。扉がまだ持っているから、奴らはそこへたかっている。

 持っている間に、着く。

 畑道では全開だったアクセルを、門の百メートル手前で戻した。ブレーキを踏むと車体が前へ沈み、速度計の針が時速三十五キロまで落ちる。

 門を抜けた先で走路を選ぶための制動だ。直線へ乗せたら、また床まで踏む。

 前照灯の先に、門柱が迫る。その根元の左右に人がひとりずつ倒れ、その二人に、緑色の影が三つたかっていた。

「門柱脇の二人は」

『指定された二名に、生命反応はありません』

 門柱脇の二名。その意味を考えるのは、後だ。

 三体は、倒れた二人の腰袋を漁っている。一体は片脚を引きずり、もう一体は肩から緑の血を流していた。

 二人は最後まで戦い、少なくとも二体へ傷を残したのだ。

「前照灯は最大。クラクションは、鳴らしっぱなしでいく」

『所有者、作戦名を登録しますか?』

「いらん。ただの配達だ」

 二・五トンの、質量の配達だ。

 ハイビームを点け、ホーンを押し込んだ。

 白光が門口を貫き、低いホーンの音が石壁にぶつかって、谷いっぱいに膨れ上がる。

 死体を漁るほど図太い三体が、夜目を焼く光と音の壁に|竦《すく》んで、動けずにいた。

 迫る車体に、竦みが割れた。三体は二人を捨て、開いた門の中へ散る。

 走路は門の中央——倒れた二人からは、離れている。

 最初の一体を|撥《は》ねた瞬間、車体の前板がたわみ、シートベルトが胸へ食い込んだ。影がボンネットを転がり、フロントガラスに黒い|飛沫《しぶき》が散る。

 反射的にワイパーを動かして、すぐに後悔した。視界の汚れは、扇形に広がっただけだった。

 ガラスの左端に残った、掌二枚ぶんの視界で走路を拾った。

【敵性存在を撃破。討伐報酬:10APを付与】

 残る二体が左右へ割れた。右へ逃げた一体を車体の角で巻き込み、戻した前輪でもう一体を踏み越える。

【+10AP】【+10AP】

 視界の隅で数字が流れ始めた。考えるな。止まるな。

 止まった二・五トンは、ただの大きな的だ。

 門はもう、背中だ。燃える家の脇を抜け、奥の石蔵までの直線へ鼻先を向ける。走路の中央に、生きた人間はいない。

 ホーンは、鳴らしたままだ。光と音に蔵の前の密集が割れ、外列が扉を捨ててこちらへ走り出す。

 来い。扉を叩く手が一本でも減るなら、安いものだ。

 残りは石壁を背にして押し合っている。前は石。後ろは、俺。

 正面から突っ込めば、群れごと蔵の扉を潰す。蔵の壁と平行になるまでハンドルを切ると、走ってくる連中の正面に、一本の走路が開いた。

「行け」

 アクセルを床まで踏み抜いた。ギアが一段落ち、ディーゼルの低い唸りが腹へ響く。背中が座席へ押しつけられた。

 三十、四十——速度計の針が、四十五を越える。

 先頭の数体が、光の中で棍棒を振り上げた。止まる気は、向こうにもないらしい。

 車体が、走ってくる列へ正面から食い込んだ。衝撃が、途切れない。

 一体ずつ撥ねる感触じゃない。車体が跳ね、タイヤが何かを踏み越えるたび、シートベルトが鎖骨を打つ。

 速度計の針が、四十五から三十へ跳ね落ちた。それでも、アクセルは床についたままだ。

 エンジンの回転が上がり、車体の前面が緑の塊を押し分ける。|鋤《すき》で畑を起こすように、まとめて掘り返していく。

 何かが車底を叩き、右前輪が暗がりの石を噛んだ。ハンドルが逆に掌を殴り、車体が右へ持っていかれる。

 両腕で押し戻した。汚れたフロントガラスのすぐ脇を、蔵の角が流れていった。

『右前輪と片側の前照灯に損傷。冷却系温度、上昇。操舵応答が低下しています』

「走れるか」

『走行は可能です。ただし、右前輪と冷却系のどちらが先に限界へ達するか、予測できません』

 視界の端に蔵の扉が見えた。|閂《かんぬき》の受け金が、石斧の一撃ごとに壁から浮き、次の一撃で片側が裂けた。

 ゴブリンも学んでいた。一度目の走路から左右へ散り、棍棒を振り上げて、車の横腹と窓を狙っている。

 同じ手をもう一度やれば、今度は向こうも待っている。それでも、扉には次がない。

「もう一度だ」

 ホーンを鳴らしたまま大きく回す。旋回する間だけアクセルを戻し、右へ取られるハンドルを左腕で押さえて、残った前照灯の白い帯へ鼻先を合わせた。

 もう一度、床まで踏む。

 ペダルは底に張りついた。だが速度計の針は、三十を越えたところで震えている。右前輪と泥、車底へ巻き込んだ死体が速度を食っていた。

 それでも、二・五トンは止まらない。

 側面へ飛びついた一体が、石斧を窓へ叩きつけた。蜘蛛の巣のような亀裂が走る。その影をドアで弾き、壁際の列へ斜めに車体を入れた。

 数字が、また滝になった。

 泥と血でタイヤが滑り、右前輪の奥で外れかけた部品が車体を擦った。これ以上は踏み足せない。滑る先へ鼻を向け、そのまま抜けた。

【|轢突《れきとつ》による累計撃破:28】

 二度目の掃討線を抜けた時、蔵の正面から敵の塊は消えていた。

 三度目は、ない。

 生き残りは、蔵の裏手の狭い帯へ流れ込んでいた。北壁と外壁に挟まれた袋小路で、車では追えない。入っても、切り返す場所がない。

 放っておけば、あの数は夜の畑と街道へ散る。これから扉を開けて人を外へ出すなら、ここで終わらせるしかない。

 残りは十数体。出がけの勘定どおりなら、俺の腕では七十発仕事——手持ちは四十五発。

 弾では買えない相手だ。だから、火力は先に買ってある。

 俺はハンヴィーを蔵の西端へ寄せ、鼻先を敵側へ向けた。そこからなら、北側の通路を端まで真っ直ぐ見通せる。北壁には、窓も明かり取りもない。

「中の人! 裏の壁から離れろ! 扉の側に寄って、伏せてろ!」

『蔵内の生存反応、南側へ移動。北壁際に反応はありません』

 緩衝ケースを開け、手榴弾を六つ、車載の工具袋へ移して肩に掛けた。残りはケースごと助手席の足元へ残す。

 助手席側のドアから降り、蔵の西角まで走って、石壁を背にして通路を覗く。

 十五メートルあまり先で、ゴブリンどもの背中が重なっていた。逃げ道を求めて奥へ押し合い、かえって詰まっている。

「アルマ。使ったことがない」

『初回使用手順を表示します。信管は支給状態から加工しないでください。安全クリップを外し、投擲直前までレバーを掌で保持。ピンを抜いた後は握り直さず、一個ずつ投擲。投擲後は爆発を確認するまで、頭部と手足を含む全身を石角の内側へ退避させてください』

 視界の端に、クリップとレバーとピンを赤く示した図が出た。六個まとめて準備するな。一投ごとに、終わらせろ。

 一個目の安全クリップを外し、レバーを掌で押さえてピンを抜く。通路の中央へ投げ、投げ終えた右手まで引き込んだ。角から二歩下がり、膝も靴先も残さず、石壁の陰へ全身を伏せる。

 空気が破裂し、圧力が胸郭の内側まで響いた。夜が一瞬だけ橙色に染まり、討伐ログが重なる。

 反響が切れてから、顔だけ出す。生き残りは奥へ雪崩れ、倒れた仲間に乗り上げていた。二個目は狙いを奥へずらして投げ、すぐに全身を石角の内側へ戻す。

 爆発を待って三個目を投げた。手前の壁で跳ねたのが見え、全身を引っ込める。狙いより五メートルも手前で破裂し、角の石が頬の横で白く弾けた。

 掌で安全レバーを押さえたまま、四個目のピンに指をかける。汗で、一度すべった。

 振り向いた数体が、仲間の山を越えて来る。先頭が山を越えたところへ、四個目が落ちた。腕を引き、石壁へ全身を沈める。

 五個目と六個目で、通路の奥を塞ぐ。投げるたびに全身を引き、爆発を待ってから次を出した。最後の反響が石壁の間から消えた時、狭い通路に立っている影はなかった。

 耳鳴りの向こうで、燃える家の音もエンジン音も遠くなっている。頬に生温かい筋が一本下りて、顎から血が滴った。

【爆発による撃破:10】

 生き残った数体は、爆発を嫌って蔵の脇から広場へ飛び出していた。開け放たれた西門へ走り、門柱脇の二人には目もくれず、そのまま夜の街道へ消えていく。

 追わない。

 逃げる背中より、蔵の扉が先だ。

『東側、敵性反応三。接近』

 空になった工具袋を肩へ戻し、ハンヴィーへ戻りかけていた。

 焼け残った家の陰から、三体が飛び出してくる。

 袋を足元へ落とし、ハンヴィーのエンジンブロックを盾にしてM9を構えた。

 引き金を二度絞る。乾いた発射音が石壁から返り、一体目が前のめりに崩れた。

 二体目へ三発。薬莢がボンネットを跳ねる音と重なって、緑の影が横倒しになる。

 三体目の胸へ照準を置き、最後の一発を絞った。反動が掌を押し返す。

 命中したのは眉間だった。狙ってはいない。ただの偶然だ。

【交戦終了。現在捕捉中の敵性反応なし】
【本戦闘の戦果:撃破41。うち轢突28、爆殺10、射殺3】
【検知範囲外へ離脱:5】
【使用弾数:6。使用手榴弾:6】

 アイドリングの不揃いな唸りだけが、夜に残った。

『所有者、停止してください。頬に浅い裂傷。耳からの出血はありません。左右を片方ずつ塞ぎ、反対側で指を擦ってください』

 言われた通り、まず右耳、次に左耳を確かめる。指の擦れる音は両方で聞こえた。ただ、どちらにも高い音が被っている。

「両方、聞こえる。耳鳴りは残ってる」

『記録しました。追加の爆発物使用は推奨しません』

「元から、そのつもりだ」

 M9を握ったままの手が、また震えている。二度目でも、慣れるものじゃないらしい。

 四十一体を数字で数えれば、また死体を見ずに済む。だが今は、その数字へ逃げる時間もなかった。

「アルマ。石蔵の中で、生きている人間は何人だ」

『蔵内に三十一名。うち一名、生命反応が不安定です』

 M9をホルスターへ押し込み、助手席から医療袋を引っ掴んだ。

『車体前部の変形、右前輪の損耗、前照灯と窓の破損、冷却系への異物混入を確認。推定整備費、120APです』

 負傷者を運び出すなら、足が要る。修復にも時間がかかる。

「弾は六発で済んだ。車の損耗は、その百二十で全部か」

『現時点の見積もりでは』

「修理を承認。詳しい決算は後だ」

【車両修復費:120AP】【残高:680AP】

『完全に無料の戦法は、存在しません』

「分かってる」

 エンジンを切った。修復は俺が走っている間にも進む。搬送手段と退路だけは、先に戻しておく。

 俺は走った。

 門柱の二人が、脳裏へ戻ってきた。|鍬《くわ》を握った人間の男と、半ばから折れた杭を握った獣人の男。

 二人は別々の門柱を背にして、入口の左右で倒れていた。鍬の刃と杭の先には緑の血がこびりつき、さっき撥ねた二体の傷と重なる。

 門は壊されてなどいなかった。閉める前に群れが来て、閉められなかった門の代わりに、この二人が立ったのだ。

 三十一人には、間に合った。二人には、間に合わなかった。

 一度だけ足を止め、門へ頭を下げた。それ以上は、今、生きている人間から時間を奪う。

『火勢を確認。東寄り四戸と納屋は消火困難。現在の風向きでは、石蔵への延焼に直近の危険はありません』

 火には猶予がある。怪我人には、ない。

 蔵の|樫《かし》扉には、爪痕と石斧の刃こぼれが食い込み、閂の受け金が半ば裂けていた。

「中にいる人、聞こえるか。ゴブリンは片付いた。怪我人を診せてくれ」

 返事の代わりに、扉の向こうで物音がした。それきり、長い沈黙が落ちる。

 閂の軋みと、「ミア!」という押し殺した男の声が、ほとんど同時に響いた。

 扉が手の幅だけ開いた。内側には太い縄が二重に回され、それ以上は開かない。

 隙間から、錆びた果物ナイフが突き出された。両手で構えているのは、十かそこらの少女だ。すすで汚れた顔に、ぼろぼろの服。

 頭の上には、灰色の獣の耳があった。

 切っ先は、ぴたりと俺の喉を指している。

 刃物一本のこの子が、今はこの村の最後の門だった。

 肩越しの暗がりに、斧を握った大男がいる。燃える家の赤い光が少女の脇を抜けて、細い帯になって蔵の中へ伸びていた。

 その帯の中で、目がいくつも光った。あとは、息遣いの数だけがやけに多い。

 彼らから見える俺は、世界が割れるような爆音と魔物の断末魔を連れてきた、正体の分からないよそ者の影だけだ。怖がられて当然だった。

「……ころすなら」

 少女が、|掠《かす》れた声で言った。

「ころすなら、ミアが、さいごがいい。みんなの、あとがいい」

 俺はゆっくり膝を折り、ミアと目の高さを合わせた。ホルスターのM9から手を離し、両手を開いて見せる。

 それから、ポケットに残していたMREのクラッカーとジャムの小袋を差し出した。

「殺さない。食え。毒見が要るなら、俺が先に|齧《かじ》る」

 実際に齧って見せると、ミアの耳がぴくりと動いた。

 包みをひったくるように受け取った。だが、自分では食べなかった。

 肩越しに後ろへ差し出すと、包みは斧の大男の手に渡り、暗がりの奥へ消えた。

 やがて、暗がりの奥で齧る音がした。ひとつ、ふたつ——数える間にも、増えていく。

 三十一人を順に並べたら、この子は自分を三十一番目に置くつもりなのだ。

 ミアのナイフが、指一本ぶんだけ下がる。

「あんたの音、きこえた。ごぶりんの声、なくなった。だから、ミアがあけた」

「聞き分けたのか。あの中で」

「ミアが、むらで、いちばんきこえる」

 少しだけ、胸を張った。

「よく聞いてくれた。中に、一番ひどい怪我をした人は」

「じいちゃん」

 ミアは、ようやくナイフを下げた。

 斧の男が縄を解く。樫の扉が、人ひとり通れるだけ開いた。

『救援対象を確認。生存者、三十一名』

 蔵の中は、汗と血と麦の匂いがした。

 男たちは鍬や斧を握ったまま、老人と女と子供の前に立っている。人間も獣人も、同じ列で壁になっていた。

 石壁は大人の腕ほども厚く、麦俵は壁際と中二階へ上げられ、中央の土間だけが広く空いている。麦を置く蔵である前に、人が籠るための蔵だった。

「斧の人。二人を門の見張りへ。残りの動ける人で、井戸から桶を回してくれ。蔵の屋根と焼け残った家を濡らす。火の中へ入るな」

 大男は一瞬だけ俺を見た。それから斧を置き、動ける者たちへ声を掛けて外へ駆けた。

「アルマ。敵性反応が戻ったら、すぐ知らせろ」

『承知しました』

 俺は肩から医療袋を下ろした。蔵の隅で、|白髭《しらひげ》の老人が壁にもたれている。腹に巻かれた布は、黒く染まっていた。

 村長、と誰かが呼んだ。逃げ遅れた子供を門の内へ突き飛ばして、代わりに受けた傷だと傍らの老婆が教えた。

 老人は俺を見上げ、酸素を求める魚のように口を動かした。

「たび、の……ひとよ。にげ、なされ……」

「爺さん、喋るな。今、できることをやる」

 個人医療キットを開く。清潔なガーゼ、包帯、消毒薬。それに、体温を逃がさないための薄いシート。

 魔法じゃない。だからこそ、レベルが足りなくても手は届く。

 染みた布は剥がさず、上へ新しいガーゼを重ね、掌で圧迫する。教範の|頁《ページ》とアルマの声が、同じことを言っていた。

 腹を強く締めすぎないように包帯を回し、肩から下を保温シートで包む。

 それでも、掌の下から熱が逃げていく。

「重傷治療を」

 視界に、灰色の文字が出た。

【対象の損傷は重傷区分です。重傷治療はLv3で解放されます(1,000AP)】

 医療袋の底に残った応急治療パッチも、使用対象外を示す灰色に沈んでいた。

「なら、応急治療を重ねろ。十回でも、百回でも」

『軽傷治療の効果は累積しません。重傷区分には適用できません』

「足りない分なら、これから稼ぐ。先に使わせろ」

『これは金額ではなく、解放権限の問題です』

 戦車も、イージス艦も、カタログには載っている。それなのに、爺さん一人の腹の傷を塞ぐ棚は、俺のレベルではまだ灰色だ。

 足りないのは、システムじゃない。俺の稼ぎだ。

『システム治療は適用できません。ただし、通常の医薬品による|疼痛《とうつう》緩和は可能です』

「……まだ、できることは残ってるんだな」

「アルマ。鎮痛・解熱薬セットを一つ」

『決済しました。50AP。残高、630APです』

 一回分の薬はアルマに選ばせた。意識と嚥下を確かめ、出血を悪化させないものを、指示された量だけ使う。

 治せはしない。それでも、しばらくすると老人の眉間に刻まれていた皺が、ほんの少しだけ緩んだ。

 外では、桶を手渡す声が上がり始めていた。水をかけられた屋根から白い蒸気が立つ。少なくとも、この蔵と中の麦は守れる。

 老人の指が俺の袖を掴んだ。傷ついた人間のものとは思えない力だった。

「今夜の、あれは……氾濫では、ない」

「四十一体で?」

 老人が、わずかに首を振る。

「先触れ、じゃ……黒森の、氾濫が……来る。もう、じき……」

 氾濫。

 俺はまだ、その言葉の正確な意味を知らない。だが、蔵の中の全員の顔が——ミアの逆立った尻尾までもが、それを知っていた。

 蔵の中の息遣いが、一斉に止まった。

 氾濫の規模を|訊《き》く前に、ここにいる三十一人を朝まで生かさなければならない。

 戦闘は終わった。次は、生かすための勘定だ。

 四十一体は、群れの本体ですらなかった。


【第3話 収支(AP)】
期首 740
収入 +410
 ゴブリン討伐 41体 +410
支出 −520
 手榴弾 10個 −300
 個人医療キット(IFAK)−50
 ハンヴィー戦闘損傷の修復 −120
 鎮痛・解熱薬セット −50
期末 630
累計 1,455/システムLv1
【手持ち】
9mm弾 39発/手榴弾 4個/MRE 5食/IFAK残材(応急治療パッチ1枚ほか)/ハンヴィー 修復処理中
※魔石28個(回収見込140AP)は、まだ死体の中。使用した9mm弾6発も未補充。確定と補充は明日。

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