《転生およそ77日目》
百五十個作った|白鹸《しろけん》のうち、城下へ商品として持っていけるのは百二十個だった。
盗まれたわけでも、割れたわけでもない。
俺が、三十個を止めた。
◇
五番釜が熟成棚で二十五日目を迎えた朝、|竈《かまど》部屋の長机へ五枚の布を並べた。
同じ布から五枚を切り、|獣脂《じゅうし》とすすを等量ずつ擦り込んだ。五つの|桶《おけ》には同じ量、同じ温度の湯。各釜の検査端切れから同じ重さだけ削り、揉む回数も、すすぐ回数も揃えた。
素肌では試さない。
人の手は、厚さも傷も違う。ひりつかなかった一人を基準にしても、次の客まで同じとは限らない。
「ばしょ、かえる」
女衆の視線が木札を追うのを見て、ミアが五つの札を伏せ、桶の前で順番を入れ替えた。釜番号を知らされていない女衆が、もう一度、別の布を洗う。
結果は同じだった。
四枚は、乾き始めても黒ずみだけが残った。残る一枚には、半月形の油染みが浮いている。
伏せた木札を返す。
三番。
灰を足した女が、濡れた手を前掛けへ隠した。
検査端切れの切断面にも、三番だけ薄く脂がにじんでいた。同じ重さの平石を同じ時間載せると、窪みもわずかに深い。泡が立たないわけでも、布がまったく洗えないわけでもない。
ただ、他の四釜と同じ品ではなかった。
試験販売の提出期限まで、あと十日。
今から作り直しても、型と棚だけで二十七日かかる。
「村で使ってきた石鹸よりは、よほど汚れは落ちるよ」
トメ婆が、三番で洗った布を光へ透かした。
「使えない品じゃない。番号を隠さず五釜とも持っていって、最後は組合の職人に決めさせる手もある」
村で初めて決めた検査だけを理由に、女衆六人の一日分の仕事と、一釜三十個を落とす。それも、俺一人の独善になり得る。
「最後の判定は組合に頼む。だが、作った側が最初の判定を捨てるわけにはいかない。三番は商品から外して、比較品だけ持っていく」
「三十個ぶん、売れた時の村の取り分も減るよ」
「減る。女衆へ払った銀貨は返してもらわない。材料代も戻さない。損は商会の帳簿へ置く」
売れなかった責任まで、働いた側へ押し返せば、次の釜から誰も失敗を書かなくなる。
トメ婆は布を机へ戻した。
「なら、三番を駄目にした理由まで見つけな。捨てるだけなら、次も三十個失うよ」
製造帳を、一番釜の|頁《ページ》から開いた。
脂は五釜とも、最初にまとめて混ぜた同じ材料だ。重さ、温度、芋の線、比重計、試験紙、塩の量。書いた数字に、三番だけの違いはない。
灰の欄には、どれも〈白い灰〉としか書いていなかった。
「三番の日、灰桶が途中で空になったね」
火を見ていた女が言った。
「納屋側の竈から、朝の灰を足した。黒い炭は除いたよ」
「何を焚いた灰だい」
トメ婆の問いに、女が竈の脇の薪を見た。
「いつもの|楢《なら》の|薪《たきぎ》が足りなくて、あの日だけ|樫《かし》を使った」
白い灰だけを使う。そこまでは守った。
だが、同じ白さなら同じ中身だと、また俺が決めつけた。
別の木だから必ず失敗した、と証明できたわけではない。五釜の記録で違っていたのは、それだけだった。
帳面の材料欄を三つに分けた。
〈灰を取った日〉
〈薪山〉
〈木の種類〉
次からは、同じ生産分には、最初に灰を取った薪山の同じ樹種だけを使う。足りなくなれば、別の灰を混ぜず、その日の仕込みを止める。
「三番三十個、不合格。城下へ出す初荷は、一番、二番、四番、五番だけだ」
「その言葉なら、あたしも帳面へ名前を置くよ」
トメ婆が、不合格欄へ印を付けた。
三番から一個だけ、組合へ見せる比較品として包む。木印の〈三〉へ斜線を刻み、赤い紐で封じた。
残る二十九個は、木印の面を削って二つに割った。番号を付け直さず、村の布と道具を洗う籠へ移す。売り物の形を残さない。
百五十個が、百二十個になった。
四つの籠には、番号ごとに三十個。間へ|藁《わら》を詰め、製造帳の該当頁と、村に残す同番号の保管見本を照合する。
手押し車の端には、|火酒《ひざけ》の大瓶四本を、おが屑の箱へ入れて固定した。こちらは商品ではない。施療院で一か月、害と扱い方を見る試験品だ。
四つの籠は荷崩れしないよう寄せ、縄で固定した。
積荷表には、三番の欄だけが空いたまま残った。
◇
《転生およそ78日目》
出発前、格納庫の事業予備から金貨を一枚だけ取り出した。
【現地貨幣を取り出しました:金貨一枚】
【格納庫保管:事業予備・金貨三枚】
村の蔵にある二十五金十四銀にも、組合金庫の|供託《きょうたく》二十金にも触れない。これは宿代と飯、それに帰路の糧食を買うための商会の金だ。
今回も、ガルムとミアを連れていく。ヤンには二|挺《ちょう》のM240と村を預けた。
人目のない場所でハンヴィーを出すと、予約していた勘定が落ちた。
【車両取り出しを確認。予約済みの自動補給を実行します】
【燃料九十リットル:-45AP】【現在残高:33,280AP】
「たいちょう。さんばん、すてた?」
後ろの席からミアが|訊《き》いた。
「村で使う。売らないだけだ」
「おかね、へる」
「そうだ」
それ以上、安い授業料だとは言わなかった。
三十個を失っても、期限には間に合う。だから、不合格にできた。
だが、薬や食料で同じ判断を先送りすれば、失うのは荷だけでは済まない。
ガルムが助手席で鼻を鳴らした。
「売る前から、自分の荷を減らす商人は珍しいの」
「知っている不良を積むよりは軽い」
「その理屈で|儂《わし》の酒まで下ろすなよ、旦那」
「酒は不良じゃなく、減耗だ」
「言葉が違うだけで、扱いが酷いわい」
日暮れ前、いつもの林へ着く頃には、燃料計がまた二割を下回っていた。
『満タンまでの自動補給を予約しました。実行と精算は、次回の出庫時です』
車を格納し、手押し車へ四籠と火酒の箱を載せ、小さな火を囲んで一泊する。
積荷表の三番だけは、城下まで空欄のままだった。
◇
《転生およそ79日目》
翌朝、街道へ戻る前にM4と弾倉、M9を格納した。城内へ持ち込む武器は、封紐を巻くガルムの大剣と現地の小刀だけだ。
昼過ぎ、東門で金貨一枚を銀貨二十枚へ崩した。入市税は三人で銅貨六枚。前から持っていた十五枚から払い、残り九枚を銀貨とは別の袋へ入れる。
衛兵は白鹸の籠と火酒の箱を改め、それぞれ組合と施療院へ運ぶ荷だと木札へ書いた。火酒には、火気厳禁の赤い印がもう一つ加わった。
商人組合の|秤《はかり》場で、バルツァーは荷より先に番号を見た。
「一、二、四、五。三はどこへ置いてきた」
「村で弾いた」
製造帳の原本と、組合へ残す写し、それに赤い紐で封じた三番の比較品を机へ置く。
「売らぬ品まで、門を通したのか」
「売らない理由を、売り手の言葉だけにしないためです」
バルツァーは不合格欄を読み、次に灰の採取日と薪の種類を足した頁を確かめた。
「悪い一釜を抜いただけなら、上物だけ選んだ者と見分けがつかん」
「だから、三番も検めてください。一番から五番まで、まとめて落とす権限は組合にある」
「二十金を置いたからと、気前までよくなったつもりか」
「四釜が同じでなければ、百二十個も商品じゃない」
老人は答えず、奥へ声を掛けた。
現れたのは、四十前後の石鹸職人だった。名をルッツという。袖を肘まで捲り、爪の周りに落ちきらない灰色が残っている。
「白い石鹸を作ったのは、お前か」
「作ったのは村の女衆だ。俺は量って、番号を付けた」
「なら、女衆を連れてこいと言いたいところだが、今日は品を見る」
ルッツは、こちらの検査端切れを使わなかった。
一、二、四、五の籠へ自分で手を入れ、それぞれ別の場所から一個ずつ抜く。四個を半分に割り、片方を検査へ、残りを組合の保管見本へ回した。
そこへ、封を切った三番を加える。
組合書記が五つの番号を伏せ、別の印へ置き換えた。
ルッツは先に製造帳で、四釜がそれぞれ棚で二十五日を過ぎたことを確かめた。
同じ重りを載せ、切断面と脂の臭いを見る。削り片を同量の水へ溶かした試料にも試験紙を使ったが、強い灰汁残りを示す極端な差は出なかった。最後に、同じ油布を使って洗う。ルッツは泡の量では決めず、すすいだ布を窓辺へ並べた。
布が乾くまで待つ間に、昼の光が床を移った。
「これだ」
指した布には、村で見たのと同じ半月形の染みが残っていた。対応する石鹸は、重りの窪みも深い。
書記が伏せた札を返す。
三番。
「洗い物には使える。これだけで肌を傷めるとも、傷めないとも言わん。だが、ほかの四つと同じ品ではない」
ルッツは残る四つの切断面を、もう一度並べた。
「この四釜は、試験枠へ通せる。気に入った、とは言っていない」
「理由を聞いても?」
「俺たちの石鹸は褐色だ。お前の白が隣に並べば、色だけでこちらが汚れて見える。白いから薬になる、病を防ぐとでも売られれば、職人は品でなく噂に負ける」
真面目に釜を焚いてきた手も、同じ棚で比べられる。
「薬とは呼ばない。白さを効能にも使わない。獣脂と|灰汁《あく》で作った、洗い物用の白鹸だと番号札へ書く」
「なら、今日は品だけを見る。値の話は市場でだ」
ルッツは笑わなかった。
それでも、四枚の検査札へ職人の印を押した。
続いてバルツァーが、組合の|天秤《てんびん》印を重ねる。
「一、二、四、五。百二十個から無作為検査四個を引き、販売可能数は百十六個。今日から三月、リヒト商会の試験販売を認める」
背後で、ミアの尾が手押し車の板を一度叩いた。ガルムは喉の奥で笑ったが、老人の前で祝いの言葉にはしなかった。
「三番は」
「不合格見本として、帳面の写しと一緒に組合が預かる。お前が売らなかった証拠であり、次に同じ物を持ってきた時の証拠じゃ」
初検印の日付が、許可状へ書き足された。
四十五日の提出期限は消え、代わりに三月の試験期間が始まる。
「勘違いするな、若いの」
バルツァーが、検印を押した|木槌《きづち》を置いた。
「今日は、売ってよいと決めただけじゃ。まだ一つも売れておらん」
「販売を許された。それだけですね」
「そうじゃ。店も値も、これから決める。まだ喜ぶところではない」
百五十個作って、検印を通ったのは百十六個。
減った三十四個のうち、三十個が失敗で、四個が信用の検査代だった。
売上は、まだ銅貨一枚もない。
四つの籠は各二十九個になった。検査札を結び直し、「折れた槍」亭の施錠荷置きへ預ける。
宿は三人二泊で銀貨三枚。|夕餉《ゆうげ》は三人で銅貨六枚。祝いの酒は頼まなかった。
◇
《転生およそ80日目》
二回目の|兵站《へいたん》講義では、まず前回の運賃比較を返した。船賃、倉賃、倉番の食費、濡れと鼠で減る分まで足せば、川船は毎回使うほど安くない。ただし、出発を一日遅らせる損がそれを上回る時には使える。
次に、白鹸の製造帳を机へ置いた。
「五釜で百五十個作りました。運べたのは百二十。売れるのは百十六です」
「残りは、どこへ消えましたの」
リーゼロッテの問いに、三番の不合格と組合検査の四個を答えた。
「帳面にある数と、実際に使える数は違う。次回までに、各蔵で腐った物、濡れた物、壊れた物へ線を引いてください」
蔵を満たす報告は褒められる。使えない在庫を自分で消す報告は、責任を問われる。石盤へ書く音より先に、何人かの顔が曇った。
散会すると、城の書記が銀貨五枚と銅貨十枚を差し出した。契約で決めた旅費と宿代だ。連れの分まで昼食も出た。
リーゼロッテへ声を掛けかけたが、会議を待つ文官たちが彼女を囲んだ。人前で症状を口にする用件ではない。
◇
|施療《せりょう》院で、火酒の箱を薬師セルマへ渡した。
セルマは瓶の火印を確かめ、火元から最も遠い鍵棚を選んだ。
「使うのは、わたしと指名した二人だけ。傷には注がない。使った量と用途を記録し、事故があればその日に組合と領家へ届ける」
「一か月、それで頼む」
四本が棚へ収まるのを待ってから、若い女にひと月ほどで三回、短時間の指の強張りと浅い呼吸が出たことを、名前を伏せて話した。
「痛みは。指の色と冷たさは。意識、胸、家族に同じ症状は」
「分からない」
「本人は、自分の身体をあんたが調べようとしていると、知ってるのかい」
「……知らない」
「指が強張る理由は一つじゃない。次に起きるのを待たず、まず診察を受ける気があるか本人へ訊きな」
セルマは小さな|蝋板《ろうばん》に、確認すべき項目だけを刻んで渡した。
施療院を出てアルマへ再照会しても、返事は変わらなかった。
『診断に使える患者情報は増えていません。次に必要なのは、本人の同意を得た問診と診察です』
その夜、宿へ戻って二度目の夕餉を取った。三人で銅貨六枚。ミアもガルムも、施療院の問いについては何も訊かなかった。
野帳を開き、病名を書くために空けていた行へ、別の言葉を置いた。
〈次に必要なもの——本人の同意〉
三番釜には、不合格の線を引けた。
彼女の名の空欄には、まだ何も書けなかった。
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【第16話 収支(AP)】
期首 33,325
収入 ±0
支出 -45
ハンヴィー出庫時の軽油九十リットル -45
期末 33,280
累計 95,245/システムLv3
※城下手前までの走行で燃料が再び20%未満となり、帰路出庫時の自動補給が予約されました。次回出庫までAPは減りません。
【現地通貨・第80日目終了時点】
◆リヒト村
共有金 金貨25枚+銀貨14枚(変動なし)
◆村の女衆六人
初回手間賃 一人銀貨1枚、合計銀貨6枚(返還なし)
◆拓真個人の事業資金
格納庫の事業予備 金貨3枚
組合供託 金貨20枚
城下の旅費財布 銀貨22枚+銅貨7枚
※事業予備4金から1金を取り出し、東門で銀貨20枚へ両替しました。
※支出は入市税6銅、宿代2泊3銀、夕餉2回12銅です。第80日目の昼食は講義先で支給されました。
※第2回兵站講義の契約旅費・宿代として、銀貨5枚+銅貨10枚を受け取りました。
※村共有金、女衆の賃金、供託には触れていません。
【白鹸】
製造 5釜150個
村内不合格 三番釜30個
組合無作為検査・保管見本 4個
試験販売可能 116個
※三番釜は1個を組合の不合格見本として預け、残る29個は木印面を削って二つに割り、村の布・道具洗いへ回しました。商品番号の付け直しは行いません。
※第79日目が初検印日です。三か月の試験販売期間はこの日から始まり、満了は転生およそ169日目前後です。

