《転生およそ81日目》
検印を通った百十六個の|白鹸《しろけん》には、まだ値段がなかった。
三人で銅貨六枚の朝食を取っている途中、「折れた槍」亭へ商人組合の小僧が来た。差し出された割り木には、二の鐘までに組合へ来いと刻まれている。
裏には、買い手の条件が一行だけあった。
〈病を遠ざける白い石鹸、と札に書けるなら百個〉
白鹸は、手や布を洗う品として検印を受けた。病を防ぐと確かめた品ではない。
その一行を足せば、初荷のほとんどが売れる。
二の鐘まで、あと一刻だった。
「ガルム。四つの籠を組合へ運んでくれ。封は切るな」
「旦那はどうする」
「先に、順番を直してくる」
セルマから預かった|蝋板《ろうばん》を持ち、城へ向かった。
◇
リーゼロッテが許したのは、朝の執務が始まる前の短い面会だった。
小さな記録室には、彼女と女官が一人。扉は開けたままにされている。
「昨日、名前を伏せて、|施療《せりょう》院のセルマへ相談しました」
「どなたのことを?」
「あなたのことです」
扇が、机の上で閉じた。
「ひと月ほどで三度、指が強張り、呼吸が浅くなるのを見ました。その事実をセルマへ伝え、俺が頼る遠国の知識にも照会しました。名前は出していません」
「何を尋ねましたの」
「病名と、今すぐ必要なことを。どちらからも、本人の話と診察なしでは分からないと返された」
「痛みや、指の冷たさは?」
「|訊《き》かれて、分からないと答えました」
「家族に同じ者がいるかは?」
「それも、分からないと」
リーゼロッテは蝋板を手元へ引いた。セルマが刻んだ問いを、上から順に読む。
「ご心配は、許可の代わりにはなりませんわ」
「黙って調べた。すまない」
「昨日、現物を確かめず帳面だけで決めてはならないと、貴方は皆へ教えましたわね」
扇の先が、蝋板の空いた面へ触れた。
「わたくしの身体についても、本人を抜いた帳面を作らないこと」
「分かった」
「まだです」
彼女は女官へ新しい蝋板を用意させた。
俺も野帳を開いた。三つの日付と、見た事実。リーゼロッテはその行を読み、共有を許す範囲だけ扇の先で囲ませた。
「その囲みの外を誰かへ見せる時は、もう一度わたくしへ尋ねること。既に書いたものも、同じです」
「分かった」
「セルマの問診と診察は受けます。女官を一人、同席させる。記録はセルマとわたくしが一枚ずつ持ちます」
女官の鉄筆が動く。
「貴方は、見た三度のことだけを伝える。病名、原因、先の長さを推測で書かない。遠国へ照会する時は、先にわたくしが内容を見ます。診察の結果は、まずわたくしへ返すこと」
「急いで知らせる必要がある結果なら?」
「その範囲は、セルマに決めさせます。わたくしが意識を失っている時まで、返事を待てとは申しません」
最後の一行を確かめ、リーゼロッテが自分で印を付けた。
「自分から話したことは認めます。ですが次は、先にお尋ねなさい」
「次はそうする」
「結構。では商人どの、二の鐘が鳴りますわよ」
セルマの蝋板は、彼女の手元に残った。
記録室を出たところで、城の鐘が一度鳴った。
◇
組合の|秤《はかり》場には、四つの籠が並んでいた。
ガルムは手押し車の脇。ミアは封紐へ鼻先を寄せ、一番、二番、四番、五番の木札を確かめている。
朝の割り木を読んだバルツァーは、初回売買の検査役としてルッツも呼んでいた。
買い手は、東街道沿いの荷宿へ針、紐、油、乾物を回す|小間物商《こまものしょう》だった。|天秤《てんびん》印の組合札を首から下げ、白鹸を一つ持ち上げる。
「白い。それに、嫌な脂臭さも薄い」
「洗い物用です。一個、銅貨八枚」
「市の茶色い石鹸は四枚だ。倍で百個を動かすなら、客が飛びつく口上が要る」
男が、朝の割り木を指で叩いた。
「病を遠ざける白い石鹸。施療院へも品を納めるリヒト商会の品だ。それなら東の荷宿へ百個流す」
「薬とは書かん。清潔にする品を、商人の口上で言い換えるだけだ」
「その札は付けられない」
「白いのにか?」
「色で病を防ぐわけじゃない。これは洗う品だ。治す品でも、病除けでもない」
小間物商は白鹸を籠へ戻した。
「運ぶのは俺だ。売れ残りも、最初に客の文句を聞くのも俺になる。白いだけの石鹸を倍で置くなら、百個は取れん」
「売れ残りは、買った側の商いです。不良なら、こちらが引き取る」
「一つ悪ければ?」
「同じ釜番号を全部止める。店に残る同番号を回収し、組合の見本と製造帳で調べる。品代と、その品で傷めた人や物は商会が負う」
「その償いの銭が、金貨二十枚か」
「それは客のために組合へ置いた金です。売れない品の穴埋めには使えない」
男はしばらく、番号の木印を親指でなぞった。
「番号を隠すな、病除けとも書くな。それで倍なら売りにくい。客は印より、効く言葉を買う」
「印を削った品は、リヒト商会の品として売れません」
「なら、話は終いだ」
代金袋が、男の上着へ戻った。
「待て」
止めたのは、昨日と同じく袖を捲り、白鹸の切断面を見ていたルッツだった。こちらを助ける顔ではない。
「昨日、何と約束した」
「薬とは呼ばない。白さを効能に使わない」
「なら守れ。その札を付けるなら、俺の検め印を外す」
「お前は、こいつの商売敵だろう」
「だから言ってる。腕で負けるなら釜へ戻る。嘘の口上で市場を潰される気はない」
ルッツは白鹸を籠へ戻し、俺を見た。
「銅貨八枚が高いかは市場で決まる。病除けで八枚にするなら、俺が止める」
小間物商がバルツァーを見ると、老人は組合帳を開き、試験枠の最初の行へ指を置いた。
「許したのは洗い物の白鹸じゃ。薬の札を足せば、その場で販売を止める」
「組合長まで、百個を逃す気か」
「嘘を百個並べても、売上にはならん」
バルツァーが組合帳から指を離す。男の手は、上着の中の代金袋で止まった。
「百個を売る一行を、あんたは足さなかった。なら、不良が出ても逃げはせんだろう。十個なら、売れなくても損は銅貨八十枚で止まる」
「……十個だ」
「条件は?」
「一個八枚。店では十枚で置く。番号は隠さない。売れ残りは俺が持つ。不良が出た時は、同じ番号をそちらの責任で引き取る。病除けとも、施療院が認めたとも書かん」
「成立です」
「ただし、一番釜だけから取る。最初の苦情を、一つの番号へまとめたい」
バルツァーが一番の籠から十個を数えさせた。組合書記が、売り手、買い手、釜番号、数量、単価、回収条件を一行へ収める。
小間物商が銀貨四枚を秤台へ置いた。
組合の金箱で一枚を銅貨へ崩し、検印料と|口銭《こうせん》の合わせて一割、銅貨八枚が別の皿へ移る。俺の前へ残ったのは、銀貨三枚と銅貨十二枚だった。
書記が双方の印を確かめ、十個を入れた小籠へ買い手の青い紐を結ぶ。
その瞬間から、俺はその十個を勝手に動かせなくなった。
「たいちょう。うれた?」
ミアが、青い紐を指す。
「売れた」
「もうかった?」
「まだだ。材料と六人の賃金に、あと銀貨四枚と銅貨八枚足りない」
ガルムが|髭《ひげ》を撫でた。
「初売りで|儲《もう》けなしとは、景気のよい商会じゃの」
「先に払った分が戻り始めただけだ」
受け取った銀貨を、事業帳の〈|元金《がんきん》回復〉へ置く。村との分配欄は、空けたままにした。
残る百六個を数え直す。一番釜十九個。二番、四番、五番は各二十九個。四つの籠を封じ直し、新しい数量札を結んだ。
ガルムには百六個と手押し車を宿へ戻し、帰路の荷と一緒に東門まで運ぶよう頼んだ。最初の十個だけが、リヒト商会の縄から離れた。
◇
小間物商は、十個のうち二個を城内の店へ残した。
俺とミアは先に東門へ向かった。残る八個は、その日のうちに東街道の荷宿へ送るという。外市へ出ると、青い紐の小籠が東行きの小荷車へ積まれていた。
小荷車には針箱、油壺、塩漬け肉の樽が積まれていた。雇われ御者が八個を荷台の中央へ置き、雨覆いの下へ縄を回す。
小間物商が御者へ銅貨六枚を渡した。
「本来は一番荷宿で返す車だが、この白い荷だけ二番へ回す。石切り場の坂を押す人足を一人雇え」
「その結びだと、石切り場の下りで樽が寄る」
痩せた獣人の男が、荷台へ触れず縄を指した。
「直せるか」
男は|頷《うなず》き、樽の下へ木片を噛ませ、縄を車軸側へ取り直した。
傍らの娘は八つの白鹸を二度数え、割り木へ八本の線を引いた。父親の上着を掴む手だけが、妙に記憶へ引っ掛かった。
「たいちょう。もんに、いたこ」
ミアが小声で言った。
四十日ほど前、東門の潜り戸で追い返された父娘だった。
男は俺たちに気づかなかった。御者の方は、結び直された荷を揺すり、満足そうに鼻を鳴らす。
「ここひと月、外市で荷を触ってるのは見てた。東の二番荷宿まで、坂で押して、着いたら荷下ろしを手伝えるか」
「娘も一緒なら」
「主人から人足代は預かった。荷台へ乗せる。飯は二人ぶん。銅は六枚」
父親は娘を見る。娘が、小さく頷いた。
「名は?」
「ヨナ。娘はネルだ」
御者は二人の名を割り木へ刻み、端を割った。片方をヨナへ渡し、もう片方を荷札の袋へ入れる。
紙のない二人にも、今日の仕事を示す印は残った。
小荷車が動き出す。ネルは荷台の端からミアを見つけ、灰色の耳へ一度だけ手を上げた。
ミアも手を上げた。
四十日前は、門から遠ざかる背中を見た。今日は、仕事で東へ向かう二人を見送った。
しばらくして、ガルムが東門から手押し車を押してきた。帰路の荷と、再封した百六個。宿の荷置きには何も残していない。
外市で昼を取り、三人で銅貨六枚を払った。日が西の城壁へ触れる前に、帰路へ向けて手押し車を押し始める。
ミアの耳が立った。
「ひと、くる。ち、におう」
直後、人の叫びが列を割った。
「道を空けろ! 東の道が襲われた!」
片袖を裂き、肩から胸まで血で黒くした男が、外市へ駆け込んでくる。手には、先を折られた|道路方《どうろかた》の番号杭が握られていた。
男は荷車の縁へ手をつき、膝を折った。ガルムが肩を支える。
「その血は、お前のか」
「腕だけだ。胸のは、仲間の……」
門番が男の裂けた袖を捲り、血の出ている腕を布で縛った。ガルムは、その手が止まるのを待たずに訊く。
「どこじゃ。襲った獣は何匹おる」
「石切り場の先、第七杭の|切通《きりどお》しだ。片側普請で小車を一刻近く止めてた。道を開けた直後、森から出た。灰色の、犬よりでかいのが、六……いや、もっとだ」
「小荷車に、青い紐の籠はあったか」
俺が訊くと、男は息を吸おうとして咳き込んだ。
「小さい二輪車だ。油樽と、青い紐の白い荷を積んでた。御者と、耳持ちの男、それに子供!」
八個の白鹸を積んだ車だった。
「生きているのか」
「俺が離れた時は、まだ動いてた。普請の仲間が三人残ってる。怪我人を窪みへ引いたが、長くはもたん!」
「ここから、どれだけだ」
「走って一刻足らずだ」
六キロ前後。
冬の太陽は、西の城壁まで指一本に近い。
徒歩なら、着く前に日が落ちる。いつものように人目のない場所を探していれば、その分だけ遅れる。
外市には、荷役人、商人、門番、旅人。こちらを見る目が何十もあった。
東門の上役が、番所から飛び出した。
「警鐘を鳴らせ! 外市の者は壁際へ下がれ! 詰所へ走って騎馬を出せ!」
「騎馬が揃うまで、どれだけです」
「早くて半刻だ」
「俺たちが先に出る。騎馬より速い車がある」
上役は一度だけ俺の組合札を見て、手押し車を指した。
「その荷は番所で預かる。四つの籠には誰も触れさせん。東の荷車回し場を空けろ!」
門番二人が手押し車を番所の荷置きへ運び、割った預かり札の片方をガルムへ渡した。
ガルムが俺の顔を見た。
「目を隠す場所まで行けば、夜じゃぞ」
「分かってる」
ミアが東の道を見たまま言う。
「たいちょう。はやいの、ある」
「ある」
「鉄の馬車を出す。隠すのは、後だ」
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【第17話 収支(AP)】
期首 33,280
収入 ±0
支出 ±0
期末 33,280
累計 95,245/システムLv3
※ハンヴィー、火器、救急資材は本話では出庫・購入していません。帰路出庫時の燃料45APも予約のままで、次話の実体化時に精算します。
【現地通貨・第81日目急報時点】
期首旅費財布 銀貨22枚+銅貨7枚
朝食・昼食 三人分計 銅貨12枚
白鹸初卸し
卸値 一個銅貨8枚×10個=銀貨4枚
検印料・組合口銭10%=銅貨8枚
リヒト商会受取=銀貨3枚+銅貨12枚
話末旅費財布 銀貨25枚+銅貨7枚
※初回材料代2銀と女衆六人の賃金6銀、計8銀は第15話で支払済みです。今回の受取は先に初回事業元金の回復へ充て、未回収は銀貨4枚+銅貨8枚。分配可能利益はまだ0です。
※村共有金25金14銀、女衆個人の計6銀、格納庫の事業予備3金、組合供託20金には触れていません。
【白鹸】
販売前 116個
初卸し 一番釜10個
販売後 106個
一番釜19個
二番釜29個
四番釜29個
五番釜29個
※売却10個のうち2個は買主の城内店舗、8個は東行き小荷車へ。組合帳への記入、代金受領、買主の紐を付けた現物引渡しが揃った時点で、所有権は買主へ移りました。
※残る106個と帰路荷は急報時、東門番所の公用荷置きへ緊急預託しました。売却品とは別で、所有権はリヒト商会にあります。

