《転生およそ97日目・朝》
|道路方《どうろかた》の帳場には、俺の|轍《わだち》を買いに来た男が先にいた。
上着の胸に、赤い車輪の木札を下げている。男の前には銀貨ではなく銅貨十枚と、〈東街道・第七杭〉と刻んだ細い札が置かれていた。
「鉄の車が残した|頁《ページ》を、一枚」
「運転した者の確認が先だ。座って待て」
道路方の書記は銅貨へ手を伸ばさず、俺の通知を受け取った。
帳場は東門の詰所より狭い。壁には測り縄と刻み棒、泥の付いた直棒が掛かり、奥の棚には厚い帳面が横向きに並んでいる。土と油、それに濡れた革の匂いがした。
昨夜の|夕餉《ゆうげ》と今朝の食事で、三人ぶん銅貨十二枚を使った。宿は二泊分を先に払ってある。
残りは銀貨十四枚と銅貨十四枚。
補修の請求だと思って来た。先に待つ男を見て、その半分が外れていると分かった。
「荷車組合の帳付けだ」
男は自分の車輪札を指で弾いた。
「新しい幅の車が道を通ったなら、橋と待避所を見直す。馬車だけ道銭を払い、鉄の車だけ道銭を置かんでは、道が持たない」
「まだ渡さんと言った」
奥から、道路方の頭が出てきた。第七杭の工事札と、俺が第八十二日目に出した事故報告を机へ置く。
「通知の受取人は」
「相馬拓真です。車を動かしたのも俺です」
「荷車組合は登録済みの道路利用者だ。監督付きの閲覧には立ち会える。ただし、お前の確認が終わるまで写しは渡さん。道に残っていない仕掛けを話すなら、この男は外へ出す」
「|原簿《げんぼ》にあるものだけで構いません」
「なら、見せる。原本には触るな。違うところがあれば、口で言え」
道路方の頭が棚から出した原簿は、組合の製造帳より厚かった。綴じ紐に道路方の封が通り、頁の端へ通し番号が刻まれている。
開かれた頁には、鉄の馬車の絵はなかった。
二本の線があった。
救助の翌朝、埋め戻す前の土から測った線だ。
進入。停止。後退。向きを変えて、もう一度前へ出た跡。三本の測り縄と、輪痕へ渡した直棒の位置が、板図の上へ残されている。
十五日前に埋められた轍が、帳面の中ではまだ東を向いていた。
「旦那。これが、あの切り返しか」
ガルムが机の端から覗く。
「そうだ」
道路方の頭は壁から二本の縄を外した。先端の封札には、原簿と同じ頁番号がある。
「現場で長さを取った控えだ。長い方は輪の外から外。短い方は跡の中心から中心」
床へ伸ばされた縄は、俺の肩幅よりずっと長い。頭の中でメートルへ直す。
左右の輪痕の外縁がおよそ二・一三メートル、中心同士は約一・八二メートル。一本の輪痕は、三十から三十二センチほどあった。
ミアが二本の線の間へ入り、片方ずつ見た。
「たいちょう。これ、くるまの、あし?」
「タイヤの跡だ」
「ミアの、うで、ふたつぶん」
両腕を広げても、左右へ届かない。
原簿の次の欄には、直棒から土の底までの刻みが並んでいた。直進したところで七から九センチ。切り返して同じ場所を踏んだ外側は、最も深いところで十四センチ。路肩を傷めた長さは、およそ十二メートル。
輪の四角い模様まで、簡単な線で写されている。
「馬の跡がない」
車輪札の男が言った。
「同じ進退線に、|牽《ひ》く馬の連続した跡がない、だ」
道路方の頭が訂正した。
「後から来た騎兵と回収荷車の|蹄跡《ていせき》はある。重なったところは別の線で写した。見たもの以上は書かん」
車輪札の男の指が、深さの欄へ移る。
「これだけ沈むなら、重さは」
「空欄だ」
「石荷車何台ぶんかくらいは出せるだろう」
「出せん。前日に盛った柔らかい土だ。水気を含み、同じ輪が切り返して重ねて踏んどる。深さは|秤《はかり》ではない」
道路方の頭は、重量の欄へ引かれた一本の横線を叩いた。
「量っていないものは、売らん」
荷車組合の男は不満そうに鼻を鳴らしたが、反論はしなかった。
原簿にあるのは、土が受けた形だけだ。
車の名も、燃料も、どれだけ走れるかもない。荷台の広さ、装甲、銃架、格納庫もない。
それでも、次に同じ跡を見た者は、同じ車が通ったと疑える。
「間違いはあるか」
「俺が確かめられる範囲では、輪の間隔と跡の幅、切り返しの順に違いはありません。深さは、測定に立ち会っていないので分かりません」
「目的の欄は、門の報告を写しただけだ。〈東街道救援〉。運転者名も報告どおり相馬拓真。本人の確認欄が空いている」
書記が鉄筆を持ち上げた。
「印を置けば、本人の応答を付けた頁になる。置かなくても測定と報告の名は残る。通知の期限が切れれば、〈運転者確認なし〉で写しは出す」
確認を拒めば、幅と深さに、俺が応じなかった一行まで付いて歩く。
印を置けば、確かめられた範囲と、立ち会っていない範囲。その返答ごと、俺の車の跡へ結ばれる。
どちらにも、消える道はなかった。
「原簿から、測定だけを抜いた写しは出せますか」
「出さん。頁の追記まで一組だ。事故の理由を落とせば、補修の勘定が変わる」
それなら、足せる。
「門上役の承知を得た救援でした。襲撃地点で負傷者を先に運ぶため、路肩へ出て切り返した。死者一人、生存五人」
「車の重さは」
「回答しません。今回の実測にもありません」
「中の仕掛けは」
「道路の補修に必要ですか」
道路方の頭は、書記より先に首を振った。
「要らん。道に触れたところまででいい」
書記が追記を読み返す。俺は一語ずつ聞き、本人確認欄へ印を置いた。
鉄筆の先が、空欄を埋める。
「消す欄はない」
道路方の頭が原簿を自分の側へ引いた。
「間違いがあるなら隣へ足す。今回は、救援の経緯を足した」
荷車組合の男が、机の向こうで腕を組み直した。
「俺が欲しいのは数字だ」
「なら、何人を救うために付いた数字かも一緒に持っていけ」
俺が言うと、男は初めてこちらをまっすぐ見た。
「その方がいい。次に同じ車が来た時、門前で止めるべきか、道を空けるべきかが変わる」
敵ではない。
道を使う者として、正しく怖がっている。
◇
補修札には、人足、柴、砕石、運搬、路肩の排水を掘り直した分が刻まれていた。
「追加の補修実費、銀貨四枚」
「罰金は」
「なし。自分で届け、門役の承知を得て人を救いに出た。だが救助の功と、道直しの銭は別の欄だ」
|白鹸《しろけん》十個を初めて卸した時の総額と、同じだった。
一番釜十個ぶんが、切り返し一回で消える。
異議を出す欄もあった。俺は補修札の人足と荷車の数を原簿の損傷範囲と照合し、銀貨四枚を払った。
道路方の頭が一枚ずつ数え、領家道路勘定の受取札を渡す。
「原簿の写しは」
「被査定者の閲覧は銭を取らん。公印付きの写しは銅貨十枚。紙代が銅貨五枚、筆写と照合と印で五枚だ」
白鹸一個の店頭予定額と同じだ。
紙一枚へ、自分の車が道へ残したものを買う。
「ください」
書記が新しい紙を原簿の横へ置いた。線を引く。測り縄の刻みを写す。深さ、損傷範囲、補修額。最後に、俺が足した救援の経緯と、既に記された運転者名まで書き入れる。
書き終えた紙を別の書記が原簿と照らし、一行ごとに細い印を付けた。道路方の頭が下端へ公印を押す。
まだ湿った印の横に、発給番号が刻まれた。
「この写しと同じものを、俺以外も買えますか」
「道路を使う組合か、損傷に関わる者ならな。名と所属、用途、受取日を発給簿へ残す。銭だけ置いた名無しには出さん」
「その発給簿は」
「ここに残る。監督の前でなら見られる。写しが要るなら、また紙代だ」
止めることはできない。だが、どこへ渡ったかの轍は残る。
ミアが、乾きかけた写しと、車輪札の男を見比べた。
「おなじの、もういっこ、かえる?」
「買える」
書記の返事は短かった。
荷車組合の男が、待たされていた銅貨十枚を押し出す。
「用途は、東街道の橋、待避所、荷車の幅との照合」
書記が男の名と所属を発給簿へ刻み、二枚目の紙を取った。
「旦那。自分で付けた轍を、自分で買うたのに、もう一つ増えたぞ」
「道へ付けた時点で、俺だけのものじゃない」
俺の写しが先に乾いた。板二枚で挟み、紐を掛ける。紙の所有者はリヒト商会になった。
原簿は道路方の棚へ戻り、二枚目は荷車組合へ行く。
土の轍は十五日前に埋められた。紙の轍は、三本になった。
◇
二の鐘が鳴り、道路方の書記が窓際の|蝋板《ろうばん》へ刻む。
第八十二日目から続く三十日の試しでは、石切り場の尾根に道路方二人を置き、二の鐘と五の鐘に白旗を上げる。旗の有無を見て印を付けるのは、東門塔の書記だ。
今日は晴れていた。
東門塔からなら、尾根まで見える。
砂時計の砂が落ち切るころ、東門塔から不掲揚の札を持つ走者が来た。
「石切り場の白旗が、上がっていません!」
東門の書記が、息を切らして戸口へ立った。
「霧は」
「ありません。旗も、ほかの合図もありません」
道路方の頭は警鐘へ手を伸ばさず、騎馬札を二枚取った。
「確認騎馬を出す。旗がないだけで、襲撃と決めるな」
外で、馬具を運ぶ音が始まった。
俺は買ったばかりの轍を板で挟み、立ち上がった。
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【第22話 収支(AP)】
期首 32,520
収入 0
支出 0
期末 32,520
累計 96,105/システムLv3
【第22話 現地通貨】
期首 自由金 銀貨15枚+銅貨6枚
支出 銀貨5枚+銅貨2枚
第96日目の夕食 三人分 銅貨6枚
第97日目の朝食 三人分 銅貨6枚
路肩の追加補修実費 銀貨4枚
査定原簿の公印付き写し 銅貨10枚
期末 自由金 銀貨10枚+銅貨4枚
※第20話で支払済みの三人用大部屋二泊のうち、二泊目を第96日目夜に使いました。宿代は重ねていません。
※補修実費と写し代は車両・道路事件の勘定です。白鹸の初回事業元金や村持分へ混ぜません。

