《転生1日目》
頬に触れているのは、キーボードではなく草だった。
【システム起動を確認。所有者登録:相馬拓真。ようこそ、《アーセナル》へ】
目を開けた瞬間、視界の中央に半透明の青いウィンドウが浮かんでいた。
俺——相馬拓真、二十八歳。中堅物流会社の配車係。
最後の記憶は、三十六時間ぶっ通しで組んだ配車表だ。未処理の行を三つ残してモニターへ突っ伏し、視界が斜めに傾いたところまで覚えている。
過労で倒れた。多分、そのまま死んだ。
その俺が今、見渡す限りの森の中に寝転がっている。
見上げるほどの広葉樹が、|梢《こずえ》を重ねて空を塞いでいた。光が届かないせいか下生えは薄く、太い幹だけが間隔を置いて立っている。
俺がいたのは、大木が根ごと倒れた跡らしい。梢の切れ目から真昼の光が落ちていた。
日本の森に見える——決定的に違うものが、一つだけあった。
丸く切り取られた空に、月がふたつ並んで浮かんでいた。
「……夢にしては、頬に刺さる草が痛いんだよな」
声に出してみる。返事の代わりに、ウィンドウが文字を切り替えた。
【初回特典を支給します。受領を確認してください】
【一、拳銃M9 一式(15発弾倉・9mm弾15発|装填《そうてん》・ホルスター付属)】
【二、高機動多用途装輪車両——ハンヴィー 一台(燃料満タン)】
【三、アーセナルポイント(AP) 1,000】
「は?」
我ながら、間の抜けた声だった。
右手の横で地面が淡く光り、黒い拳銃が一丁、音もなく現れた。
続いて、十メートル先の空間が歪み、木々の間に砂色の巨体が「置かれた」。
幅広の車体。角張ったシルエット。ルーフの銃架。中古市場の出物写真を何百回も眺めた、あのハンヴィーだ。
ご丁寧に、幹と幹の間の、車一台がちょうど収まる平らな隙間を狙って、だ。
「本物か?」
駆け寄って、ボンネットへ触れた。冷たい。タイヤを蹴れば固く、開けてみればエンジンも収まっている。
車体には擦り傷と再塗装の跡があった。ルーフの銃架だけが空になっている。武装を外された、正真正銘の「払い下げ品」だ。
運転席に鍵穴はなく、始動は計器盤のつまみを回すだけ。軍用車を動かす資格は、鍵ではなく部隊の管理簿が握っている。
助手席の後ろには、水と工具と軍の教範。ドアポケットには、略号だらけの点検記録簿が一冊残されていた。
夢じゃない。
森の奥で、鳥がいっせいに飛び立った。重なった羽音は、すぐに遠ざかった。
『初回支給品の受領を確認しました。所有者・相馬拓真様。当システムのご利用方法を案内いたします』
耳元で、声がした。
若い女性の、感情を削ぎ落としたような事務的な声。ウィンドウの端には「ナビゲーターAI:アルマ」と表示されている。
「あー……アルマ、さん? まず聞きたいんだが、ここはどこで、俺はどうなった」
『当地は、貴方の出身世界とは異なる世界です。貴方の生命活動は一度停止し、当システムが所有者として再構成しました。日本語で言う「異世界転生」が、最も近い概念です』
あまりの即答に、取り乱すタイミングを逃した。
異世界転生。ふたつの月と目の前のハンヴィーは、状況証拠として強すぎた。
「で、このシステムは何をしてくれるんだ」
『《アーセナル》は、所有者へ地球の軍事物資を供給する支援システムです。交換にはアーセナルポイント——以下APを消費します。カタログを開きますか?』
「開いてくれ」
視界いっぱいに、ずらりとリストが展開された。
配車係として数字なら何万行も見てきたが、眺めていて楽しい一覧表は初めてだった。
【9mm弾 1発……1AP】
【戦闘糧食MRE 1食……5AP】
【ハンドガンM17……500AP】
【突撃銃M4A1……1,500AP】
【汎用機関銃M240……4,000AP/Lv2解放】
【ハンヴィー(追加)……5,000AP】
「おいおいおい」
M240の行で、視線が止まった。ルーフの空の銃架に載せるための一丁だ。
あそこが埋まれば百人力。値札の横には「Lv2解放」とある。
視線でスクロールすると、リストは下へ行くほど景気が良くなった。
【主力戦車M1A2……150,000AP/Lv4解放】
【攻撃ヘリAH-64……800,000AP/Lv6解放】
【戦闘機F-16……2,000,000AP/Lv7解放】
【イージス艦(アーレイ・バーク級)……100,000,000AP/Lv8解放】
「イージス艦、一億」
個人向けの通販カタログにイージス艦が載っている。
狂っている。ただ、桁が突き抜けすぎていて、逆に笑えてきた。
『全品目を閲覧できますが、交換はシステムレベルに応じて解放されます。現在は、小火器と一部の車両・物資のみです』
「見せるだけ見せて、買わせない商売か。性質の悪い通販だな」
その先には発電所や改造戦艦まで並び——中に、場違いな一行があった。
【寿命延長(自分・1年)……1,000,000AP/Lv6解放】
「寿命まで、売ってるのか」
個人の補給に、戦艦や寿命までいるか? これは誰に、何をさせるための店なんだ。
悪い癖だ。棚の一番奥まで確かめたくなる。検索欄へ「核兵器」と入れた。
【該当なし】
『……当該カテゴリは存在しません』
返答が、ほんの一拍だけ遅れた気がした。
深呼吸を一つして、浮かれた頭を仕事モードへ戻す。
俺はミリオタだ。ただし、戦車の主砲口径より、燃費と稼働率を先に調べるタイプの|兵站《へいたん》オタクだった。
弾は、一発ごとに金がかかる。
メシも、一食ごとに金がかかる。
つまりこれは「無限の武器庫」じゃない。「ツケのきかない軍の補給部」だ。
突撃銃を手に入れても、撃つたびに弾の在庫が減り、埋め直しの銭が立つ。ハンヴィーも、燃料が切れれば鉄の箱だ。
全財産は1,000AP。9mm弾なら千発ぶん。
戦争どころか、暮らし方を誤ればすぐに溶ける。
「アルマ。APはどうやって稼ぐ」
『主な獲得手段は三つ。敵性存在の討伐、他者の救援および生活の改善、指定品の売却です。討伐報酬は、対象の脅威度に比例します』
「敵性存在っていうのは」
『この世界の用語では「魔物」と呼称されています』
魔物。いるのか、この森に。
鳥はまだ戻っていないし、さっきから静かすぎるのも、そのせいか。
こちらは拳銃一丁と、ハンヴィー一台。状況を整理するほど、浮かれる要素が削れていく。
悪いことばかりでもなかった。
『基礎恩恵として、全言語の翻訳と身体能力の補正が付与されています。現在の補正は総合一・二倍です』
「レベルも上がるのか。ゲームみたいだな」
『ゲームを参考に設計された可能性があります。……推測です。忘れてください』
今、こいつ、推測でものを言ったか? 定時連絡みたいな声のくせに、時々変な奴だ。
運転席へ乗り込み、地図を呼び出した。現在地は森の|只《ただ》中。
北東二キロに「水源」、南に「街道跡」があり、未探索の人里は表示されない。
この開けた林床なら、木の間を徐行で縫うくらいはできそうだった。速度を出したければ、南の街道跡まで下りるしかない。
次に、支給された拳銃を検めた。M9——ベレッタの軍用モデル。
現用のM17ではなく、一世代前の型落ちで、弾倉にはきっちり十五発入っている。
「アルマ。特典の銃まで、型落ちの払い下げか」
『調達コストの最適化です。なお、初期支給弾は15APぶん。1発=1APの、端数のないご提供です』
「徹頭徹尾、実費なんだな」
気前がいいように見えて、一円も無駄にしない性格らしい。
さて、財布の中身は1,000AP。買い物の前に、まず三つ数える。
配車係の朝と同じだ——水と、飯と、眠り。
水。車載のポリタンクに二十リットル。飲むだけなら四日。地図には水源も出ている。ここは急がない。
飯。ゼロ。腹は六時間後に、確実に減る。
眠り。屋根はハンヴィーがある。だが、今の手元には、鍵の掛かる壁がない。
優先度が出た。食料、情報、それから安全確保。
買い物リストを組む間も耳は森へ向けていたが、鳥はまだ戻ってこない。
買う物は決まった。MREを六食、双眼鏡、それから9mm弾の予備を三十発。
締めて160AP。
残り840には手を付けない。配車の鉄則——燃料代は最後まで残せ。
予備の弾倉(一本50AP)もカートへ入れかけて、やめた。撃ち合いは避ける。それが一番安いし、装備を足すのは稼いでからだ。
決済は、ウィンドウへ視線を送るだけで終わった。
【MRE×6食:-30AP】
【双眼鏡:-100AP】
【9mm弾×30発:-30AP】
【残高:840AP】
足元に、食料の束と弾箱と双眼鏡が積み上がる。
この供給の即応性だけは、前世のどんな物流会社より優秀だ。悔しいが。
MREを一食開け、チリマカロニを立ったままかき込む。冷たく、うまくない。それでも、確実に腹へ入った。
袋には献立番号があり、当たり外れもあるらしい。覚えておこう。
残したクラッカーとジャムの小袋はポケットへ入れた。軽くて、腐らず、腹の足しになる。
『購入品は亜空間格納庫へ収納できます。容量はハンヴィー二台分で、内部の物品は劣化しません』
『出し入れは目録から選択して約十秒。ただし、敵性反応中は安全装置により施錠されます』
試すと、弾箱は十秒ほどで消えた。呼び戻すのにも、同じだけかかる。
「アイテムボックスまで標準装備か。至れり尽くせりだな」
消えた弾箱の跡を見ながら、便利さより先に制限の方を数える。
「ただし、戦いながらは開かない。武器は先に持って立て、という設計か」
『はい。準備は、戦闘の前に行うものです』
言われなくても、それは補給屋の教義第一条だ。
MREの残りと弾箱は格納庫へ。水筒を満たし、双眼鏡を首に掛けた。
「よし。まずは水源まで移動して、拠点を——」
エンジンの始動つまみへ、指を伸ばした。
森の奥から、耳障りな声が届いた。
獣の唸りとも、人の叫びとも違う。甲高く濁り、俺の知っているどの引き出しにも収まらない声だった。
しかも、一つじゃない。重なりながら、こちらへ近づいてくる。
ウィンドウが、ひとりでに赤へ切り替わった。
【警告:敵性存在を検知。脅威度E——数、三】
『所有者に戦闘の準備を推奨します』
助手席に置いたM9を見る。装填済み、十五発。予備の三十発は、格納庫の弾箱の中だ。
その格納庫は、たった今、敵性反応で施錠された。裸の実包が手元にあっても、撃ち合いながら弾倉へ詰める時間はない。
つまり、次の戦いで使えるのは弾倉一本ぶん。十五発きっかりだ。
相場のわからない敵。実戦経験ゼロの俺。
ミリオタ人生二十年で、初めての実弾射撃が異世界の魔物相手になるとはな。
「……冗談だろ?」
俺は拳銃を掴み、弾倉を確かめてから、スライドを引いた。
【更新:敵性存在まで280メートル。方位、北北東】
赤いウィンドウが視界の隅で明滅を続けている。俺はハンヴィーの車体前部へ身を寄せた。
|掌《てのひら》が、汗で滑る。
「アルマ、敵の詳細」
『ゴブリン、三体。脅威度E。体高約一・二メートル、簡素な石器で武装。群れからはぐれた|斥候《せっこう》と推定されます』
「戦った場合の、その、勝率は」
『所有者の身体補正と装備を考慮し、極めて高いと判定します。ただし——』
アルマは声の温度を変えずに続けた。
『実戦経験のない人間は、初弾を外します。統計的に』
「励ましてくれてありがとうよ」
『接敵まで、推定二分』
二分。木々が射線を塞いで、敵の姿はまだ見えない。
「アルマ、装填済みの弾倉は売ってるか」
『一本200APです。割増分は、装填の手数料とお考えください』
「素材なら六十五だろう。空の弾倉が五十、弾が十五——」
言いかけて、自分で打ち消した。初めて触る硬い|発条《ばね》に、この指で十五発。何分かかるか読めない。
接敵まで二分なら、即応の保証を買うには二百のほうだ。
「いや、いい。相手は脅威度Eが三体。手持ちの十五発で、足りる勘定だ」
俺はカタログを閉じた。その勘定には、余裕という費目が入っていなかった。
残った時間で、立つ場所を決める。
ルーフの銃座なら高さと視界は取れるが、載せる機銃がない。上半身を晒すだけだ。
拳銃一丁なら、エンジンブロックを盾にできる車体前部の陰がいい。——座学上は。
『訂正します。対象群、走行に移行。接敵まで、三十秒』
「っ——」
風向きか、匂いか。向こうが先にこちらの気配を掴んだらしい。
考えごとは終わりだ。手持ちの十五発に集中する。
三十を数える余裕は、なかった。
木々の向こうで下生えが激しく揺れ、緑色の小柄な影が三つ、藪を突き破って飛び出してくる。
絵本のゴブリン、そのままの姿だった。
そこで奴らは、足を緩めた。鼻を鳴らし、首を振り、匂いの出どころを探している。
距離、五十メートル。
警戒する三体を、俺はエンジンブロック越しに見ていた。
心臓が、肋骨を叩いている。
今からでも、運転席へ飛び込んで逃げる手はある。
だが、この林床で出せるのは人の早歩き程度だ。走り出した三体は振り切れないし、幹が邪魔で、轢くための走路も取れない。
逃げた先に、もっと悪いものがいない保証もなかった。それに、このハンヴィーは非装甲型だ。三方から石斧で窓を叩かれる籠城も御免だった。
ここで一度も引き金を引けない男が、この世界で生きていけるとも思えない。
「……やるか」
呼吸を整える。見るのはフロントサイト。引き金は「引く」んじゃなく「絞る」。
二十年分のミリオタ知識、頼むから役に立ってくれ。
先頭のゴブリンが、車体の陰にいる俺を見つけた。黄色い目が見開かれる。
「ギィッ!」
探る足取りが、一斉に、剥き出しの突進へ変わった。
速い。想像より、ずっと速い。
四十メートル。三十。俺の腕で、十五発しかない弾を遠くからばら撒くわけにはいかない。まだ撃たない。
二十メートルを切った。
ボンネットの脇から頭と両腕を出し、先頭の胸へ照準を重ねる。引き金を絞った。
乾いた破裂音が頬を張り、幹から幹へ跳ね返った。銃口が大きく跳ね、黄銅色の薬莢がボンネットの上を転がる。
初弾は、先頭の右を抜けた。
統計どおりの外れだ。撃った俺自身の耳が詰まり、細い耳鳴りが残る。
ゴブリンどもも、聞いたことのない音に足を止めた。耳を伏せ、目を見開いている。それも一瞬で、飢えた突進が再開される。
二発目を絞る。
銃声はもう、音ではなかった。掌と胸を叩く衝撃だけが残った。
弾は足元の腐葉土を跳ね上げた。三発目が肩を打ち、四発目が胸へ入る。先頭の体が前のめりに崩れた。
【敵性存在を撃破。討伐報酬:10APを付与】
視界の隅で数字が動く。読む余裕はなかった。
二体目が、もう十数メートル先まで来ている。小さな体の頭上へ、石斧が振り上げられた。
俺は半歩下がりながら、三度、引き金を絞った。一発は外れ、残る二発が腹と胸へ入る。ゴブリンは勢いのまま地面を転がった。
残り、八発。
三体目は仲間の死体を見て、反転した。逃げる敵を背中から撃つのかと、一瞬だけ指が止まる。
——だが、あれが群れの斥候なら、逃がせば群れが来る。
遠ざかる背中へ照準を向けた。一発目は土を、二発目は幹の皮を弾いた。三発、四発、五発。小さな背中の左右で、葉と腐葉土ばかりが跳ねる。
逃げる背へ放った六発目が、ようやく突き刺さった。ゴブリンが下生えに沈む。
倒れた。もう動かない。そう見えているのに指は止まらず、引き金をさらに二度絞った。伏せた背中が、一度、二度と跳ねる。
スライドが、後退位置で止まった。
弾切れ。
装填していた十五発を、たった三体相手に撃ち切った。
【敵性存在を撃破。討伐報酬:10AP×2を付与】
【戦闘終了。使用弾数:15。命中弾数:7】
森が静かになったのか、それとも俺の耳が音を拾えなくなったのか、わからなかった。
銃を握った指が、固まって開かない。
三つの死体を——見ないために、俺は数字を数えた。
撃った弾が十五。埋め直せば一発一ポイント。十五ポイントぶんの在庫が、森へ消えた。
入った討伐報酬が、三十。
……命を懸けて、差し引き、プラス十五。
そして、アルマはこいつらを「斥候」と呼んでいた。
——なら、群れは。
群れは、どこにいる。

【第1話 収支(AP)】
期首 0
収入 +1,030
初回特典 +1,000
ゴブリン討伐 3体 +30
支出 −160
MRE 6食 −30
双眼鏡 −100
9mm弾 30発 −30
期末 870
累計 1,030/システムLv1
【手持ち】
M9(撃ち切り・要再装填)/9mm弾 残30発(箱・裸のまま)/MRE 5食/双眼鏡/ハンヴィー 燃料満タン/車載の点検記録簿・教範類

