004話
「レオン。この方が、領主印への登録に立ち会った刻印官、リディア・ヴァレルです」
マルタが女性を紹介した。
「王都から、灰門の領主交代手続きのために派遣されています」
「リディア・ヴァレルです。殿下がお目覚めになられたこと、心より安堵しております。そちらの方とは、初めてお会いしますね」
「エレナ・グレイです。本日より、レオン殿下付きの私設護衛を務めます」
エレナが頭を下げる。
「どうぞよろしくお願いいたします、エレナさん」
リディアの視線が、濃紺の外套から、その下にのぞく灰緑色の服、黒い軍靴へと動いた。
「エレナの身元は、私が保証します」
マルタが言葉を添えた。
「詳しい出自は、私の判断で伏せています」
「承知しました。私の職務に必要なことが生じない限り、こちらから出自をたずねることはいたしません」
リディアは、それ以上エレナの格好へ目を向けなかった。
「それでは、適性検査を始めましょう」
盾式結界の訓練を終えてから、数時間後。
侍医に命じられて昼まで休んだ俺は、マルタとエレナとともに、術式工房の作業室へ来ていた。
室内には、石と金属を削ったような匂いが漂っている。
壁際の棚には、色も形も異なる魔石や、様々な刻印具が並べられていた。
「エレナは、これまで一度も魔法を習った経験がありません」
マルタが説明する。
「魔力を感じ取る方法も?」
「本日、マルタ様から教えていただきました」
エレナが答えた。
「しかし、自分の身体の中にあるという魔力を、まだ識別できていません」
「成人するまで、魔力を使った経験がないのですか」
リディアの眉が、わずかに動く。
「事情があります」
マルタの声が一段低くなった。
「検査に必要ですか?」
「いいえ。必要ありません」
リディアはあっさり引いた。
リディアは長机の上へ、薄い六角形の石板を置いた。
両手で抱えられるほどの大きさだ。
淡い灰色の表面には、異なる形をした六つの刻印が彫られている。中央には、親指の先ほどの透明な魔石が埋め込まれていた。
「これは適性盤です」
リディアが、指で石板の縁をなぞる。
「元素、強化、結界、感応、治癒、刻印。六つの基本系統に対して、魔力がどの程度反応するかを調べます」
「元素術は、火や水に分かれているんだよね?」
「はい、殿下のおっしゃるとおりです。まず、この適性盤で元素術そのものへの反応を見ます。強い反応が出た場合は、別の属性盤を使って、火、水、風、土のどれと相性がよいかを調べます」
「契約・召喚術は、調べられないんだっけ?」
「そうですね。契約・召喚術は、術者だけで成立する魔法ではありません。相手となる精霊や魔獣との相性にも左右されるため、通常の適性盤では調べられません」
「それでは、その六つの基本系統が分かるのですね」
エレナが適性盤へ視線を落とした。
「正確には、現時点でどの系統へ魔力を通しやすいかが分かります」
リディアは六つの刻印を順番に指した。
「反応が弱いからといって、その系統を絶対に習得できないという意味ではありません。訓練によって変化することもあります」
「検査に危険は?」
「適性盤からごく微弱な魔力を流し、あなた自身の魔力を反応させます。指先が温かくなったり、わずかに痺れたりすることはあります。痛みや吐き気を感じた場合は、すぐに手を離してください」
「承知しました」
「では、右手を中央へ」
エレナが適性盤へ掌を置いた。
何も起きない。
「反応がありません」
「まだ検査を始めていませんから」
「そうでしたか」
真顔で答えたエレナに、俺は思わず笑いそうになった。
「始めてもよろしいですか?」
「お願いします」
本人の同意を得てから、リディアが適性盤の端へ指を触れた。
細く刻まれた線へ、青い光が流れ込む。
光は石板の縁を巡り、中央の魔石へ集まった。
その瞬間、エレナの肩がわずかに揺れた。
「胸の奥から、右腕へ熱が移動しています」
「それが魔力です。無理に動かそうとせず、いまは流れに任せてください」
中央の魔石が、淡い青色に輝き始める。
そこから六本の細い光が伸び、それぞれの刻印へ流れ込んでいった。
元素術、治癒術、刻印術を示す刻印には、弱い光が宿る。
身体強化の刻印は、それよりも明るく輝いた。
盾を模した結界術の刻印も、淡く明滅している。
そして、瞳を模した感応術の刻印へ光が届いた瞬間――ほかの五つとは比べものにならないほど、強い青色が適性盤を照らした。
リディアが、適性盤の側面に刻まれた目盛りを確認する。
「魔力の反応量は、成人として標準的です。最も高い適性を示しているのは、感応術ですね」
「感応術?」
「魔力や生命反応、術式の痕跡などを感じ取る系統です。距離や精度は訓練次第ですが、あなたの魔力は、この刻印へ強く反応しています」
「身体強化と結界術は?」
「身体強化にも、十分な反応があります。結界術の反応はそれほど強くありませんが、習得できないほどではありません」
「盾式結界も学べるのですね?」
「時間はかかるかもしれません。それでもよろしければ」
エレナは迷わずうなずいた。
「では、感応術と結界術を優先して学びます。身体強化についても、基礎を身につけたいと考えます」
「得意な感応術だけではなく?」
「危険を早く発見できれば、盾を使う状況そのものを減らせます。それでも防げなかった場合には、盾が必要になります」
リディアは、初めてエレナの顔をまっすぐ見た。
「あなたは、本当に護衛なのですね」
「そのために、ここにおります」
「分かりました。まずは感応術を利用して、自分の魔力を感じ取る訓練から始めましょう。その感覚は、結界術や身体強化を学ぶ際にも役立ちます」
「ありがとうございます」
リディアにとっては、適性の一つが強く現れただけの検査結果なのだろう
けれど、俺とマルタにとっては違った。
エレナにも、この世界の人間と変わらない魔力がある。
少なくとも魔力という点では、APシステムによって生み出された彼女も、この世界に生まれた人々と何も変わらなかった。
「ねえ。僕も、もう一度測っていい?」
「構いません。ただ、訓練によって変化することがあるといっても、それは長い時間をかけてのことです。数日で適性が変わるようなことは、まずありませんよ」
「それでも、確かめてみたいんだ」
リディアは俺ではなく、マルタへ視線を向けた。
「ええ、お願いします」
「承知しました」
俺はエレナと場所を入れ替え、適性盤の前へ立った。
領主印へ魔力を登録する直前にも、リディアはこの適性盤で俺を測っている。
あれから、まだ三日しかたっていない。
「では、右手を中央へおいてください」
俺は透明な魔石へ掌を重ねた。
「始めます」
適性盤の縁へ、青い光が流れ込んだ。
胸の奥に生まれた熱が、肩から腕へ伝わってくる。
前回は、ただ温かいとしか分からなかった。
けれど今は、細い魔力がどこを通り、どの指先へ届いているのかまで感じ取れる。
中央の魔石から、六本の光が伸びた。
最初に強く輝いたのは、結界術の刻印だった。
続いて、感応術と刻印術。
前回、実用水準の反応を示したのは、この三系統までだった。
だが、光は止まらなかった。
元素術の刻印が明るさを増す。
前回はほとんど反応しなかった強化術と治癒術にも、はっきりと青い光が宿った。
六つすべての刻印が輝いている。

「……一度、手を離してください」
リディアは盤面と目盛りを調べ、もう一度、最初から検査をやり直した。
二度目も結果は変わらなかった。
「殿下の適性が、増えています」
リディアが俺を見た。
「前回、実用水準の反応が認められたのは、結界、感応、刻印の三系統でした。現在は、元素、強化、治癒も基準を超えています」
「では、レオンには六つすべての適性があるのですか?」
マルタの問いに、リディアは慎重にうなずいた。
「現時点の結果では、そうなります」
「そのような人は、ほかにもいるのですか?」
「六系統すべてへ適性を持つ方は、非常に珍しいですが、存在しないわけではありません」
リディアは前回の記録へ、もう一度目を落とした。
「異常なのは、その適性が三日間で増えたことです。適性盤が測っているのは、生まれつきの才能そのものではありません。現在、六つの系統へどれだけ抵抗なく魔力を通せるかです」
「侍医は、僕の魔力経路が以前とは変わっていると言ってた。それで、結果も変わったの?」
「理屈の上では、あり得ます」
リディアは適性盤へ視線を落とした。
「訓練を重ねれば、細かった経路が少しずつ広がることはあります。ですが、三日間で三系統もの経路がつながった例など、私は知りません」
その言葉を聞いて、青白い文字の一行を思い出した。
【肉体および魔力経路の適合――完了】
あの「適合」は、単に魔力を流れやすくしただけではなかった。
これまで閉じていた道まで、俺の身体へつなぎ直していたのだ。

