《転生およそ110日目・一の鐘》
蔵は満杯だった。
それでも、三日をつなぐ数には二百八十袋足りなかった。
八日前、俺たちはヤンを村へ戻した。昨日は俺とガルムとミアが城下へ戻り、村を出た時に予約燃料が精算されている。
【燃料90リットル:-45AP】
【現在残高:24,570AP】
二度の長距離移動の昼でMRE七食も使い切った。東門のHMMWVは再び燃料二割未満で、次の九十リットルは予約だけが入っている。
今回の召集札では、三人の入市税、業務宿、朝夕の食事を領家が直接負担する。月例講義とは別の仕事で、俺の財布へ旅費も謝礼も入らない。
「帳面の上には、五千二百あります」
白髪眉の主計頭が、最初の帳面を開いた。
机の向こうには麦袋が天井近くまで積まれている。空の棚を探す方が難しい。
主計頭の前には四冊の帳面と、蔵番、若い主計、バルツァー、組合書記が揃っていた。俺が来るまで、誰も数える手を止めてはいなかった。
「昨夕から、払出しを仮に止めました。同じ時刻へ揃えねば、また違う数を比べることになる」
「それでお願いします。まず、五千二百と現物の差から」
若い主計が、|出納板《すいとうばん》を裏返した。
「昨日の夕刻、八十袋を守備隊へ出しています。蔵番の区画帳にはある。主計方の元帳へ移す前に、日の締めが来た」
五千二百から、八十を引く。
現物は五千百二十袋。盗まれた袋はなかった。締めた時刻が一つずれていただけだ。
「合いました」
若い主計が息を吐く。
「総数は、です」
俺は四冊を、麦袋の方へ向け直した。
「今日動かせる数を見ます」
俺たちは、最初の区画から袋を見た。
一つの袋を二度引かないよう、除外理由は袋ごとに一つだけ付ける。食用に出せない物を先に隔て、その残りから所有者、予約、荷姿の順で見ていった。
ミアが最下段の前でしゃがむ。
「たいちょう。した、あまい。すっぱいのも、ある」
蔵番が鼻を寄せ、袋の口を自分で開いた。固まった麦が、指で押しても崩れない。隣の袋には鼠の穴があり、その奥では壁から落ちた水が床板を黒くしていた。
「これだけでは決めません。上も開けます」
蔵番は逃げずに言った。
同じ濡れの記録がある床区画から、場所を散らして袋を下ろす。色、匂い、熱、虫を確かめると、蔵番は同じ履歴の四百二十袋を食用払出し停止へ移した。
処分を決めたのではない。袋ごとの最終判定と原因は、別の札で後日調べる。
次は、袋に結ばれた所有札だった。
商人の|天秤《てんびん》印。荘民の割り木。組合預り。屋根は領家の蔵でも、中身まで領家の物とは限らない。
「他人の札を外せば、数は増えます」
組合書記が言う。
「在庫ではなく、盗品が増えるだけじゃ」
バルツァーが、天秤印の札を元の袋へ戻した。穀物の売買を扱う組合側の証人として、主計方が呼んでいた。
他者所有、千三百袋。
預り主帳の全てに、引取日と出荷先がある。買い直しても、同じ三日の内に別の受取人へ欠品を移すだけだった。
領家所有でも、守備、|施療《せりょう》院、種、既に代金を受けた払出しには予約札がある。急ぐという理由で剥がせば、明日来る相手の袋を今日食うことになる。
既予約、二千四百袋。
残る区画で、ガルムが一袋を持ち上げた。麻布の底が伸び、麦が細い筋になって床へ落ちる。
「旦那。麦の数に、担ぐ背中と替え袋は入っとらんぞ」
古い大袋へ詰めた物、口紐が切れた物、木囲いから袋へ移す物。奥では、袋を吊る|梁《はり》にも割れがある。
空袋の次便と梁の補修には、少なくとも四日かかる。今いる袋縫いの人足をこちらへ回せば、九百二十袋を出す班から人が抜ける。三日のどの日にも、安全な|荷役《にやく》へ組み込めない物は八十袋だった。
主計頭が、石盤へ数字を並べる。
五千百二十。
そこから四百二十、千三百、二千四百、八十を引く。
今、期限内に門へ出せる麦は九百二十袋。
北の平野からの契約済み次便は、既に出発している。最短で三日。守備や施療院への予約とは別の一般配給札は、その三日で千二百袋あった。
不足は二百八十袋だった。
八十袋を全部間に合わせても、まだ二百袋足りない。
四冊とも、嘘は書いていなかった。
四冊を重ねて読む欄だけがなかった。
◇
「食用に出せない四百二十へ、なぜ線を引かなかったのです」
若い主計の問いに、蔵番は鉄筆を握ったまま答えなかった。
俺には、その沈黙の理由が分かった。
第八十日の講義で、俺が言ったのだ。腐った物、濡れた物、壊れた物へ線を引け、と。
「線を引けば、私が四百二十袋を消した帳面になります」
蔵番の声は小さかった。
「腐らせた責めも、鼠を入れた責めも、数を減らした責めも、同じ|頁《ページ》で私へ来る。なら、開けて確かめるまで、総数からは消せません」
俺の指示は、使えない物を見えるようにするつもりだった。
報告した者が、失った者に見える仕組みを残していた。
「俺の決め方が悪かった」
主計頭ではなく、蔵番へ言った。
「今日出せるかと、なぜ出せなくなったかを、同じ線で処理させた」
「では、線を戻しますの?」
声と一緒に、閉じた扇が石盤へ置かれた。
リーゼロッテが、女官と領家書記を連れて蔵へ入る。彼女の前にも、主計頭が四冊を一冊ずつ開いた。
「戻しません。ただ、二枚に分けます」
俺は空の札を二枚取った。
「一枚は、今日の可用判定です。期限内食用停止、他者所有、予約済み、期限内荷役不可。ここへ線を引いても、横領や弁済の自認にはしない」
「もう一枚は」
「原因、管理責任、損失、弁済の調査です。期限を別にする。今日、人へ食べさせる数を出すために、責任まで今日決めません」
リーゼロッテは蔵番を見た。
「可用札へ正直な数を書けば、その数を減らしたと責められない。その代わり、原因札の照合には応じる。よろしい?」
「はい」
「主計方も、二つを同じ頁へ戻さないこと」
主計頭が領家書記の前で印を置いた。蔵番は初めて、自分の手で〈期限内食用停止四百二十〉と書いた。
責める帳面と、食べさせる帳面が分かれた。
若い主計は、石盤の不足二百八十を消さなかった。
「この数を、どこから埋めます」
「他人の札と、既予約には触れません」
リーゼロッテの返事は早かった。
「種も守備も、明日の不足を別の相手へ移すだけですわ」
主計頭が、荘から届いた季節報告を開く。北門から荷車で半日ほどの|第三荘倉《だいさんしょうそう》。種、荘民の食、すでに引渡し先の決まった分を除くと、余剰が七百二十袋ある。
「十日前の報告です。現物と売る意思は、まだ確かめておりません」
主計頭は、石盤へ二百八十の下に四百、その下に四十を書いた。
「二百八十だけでは、北の荷が一日遅れればまた欠けます。一日分四百と、日ごとの狂い四十まで持てるなら、七百二十全てに買付け上限を置く意味があります」
「確かめます。徴発にはしないでください」
俺が言うと、バルツァーが片眉を上げた。
「商会で買う気か、若いの」
「買いません。俺は穀物商との再交渉をしていない。領家が必要とする麦を、リヒト商会の物にすれば、輸送を直す者と値を決める者が同じになります」
「それでよい。ある麦と、売れる麦は別じゃ」
リーゼロッテは、領家予備費から市場相当の値で七百二十袋まで買える照会札を作らせた。主計頭の不足証明と、グレンツ家の予備印を重ねる。
第三荘の|荘代《しょうだい》と所有者の売却札、現物検査、引渡しが揃うまで、所有権も代金も動かさない。
リヒト商会が請けるのは、輸送設計だけだ。麦の口銭は取らない。
騎兵が照会札を革筒へ入れ、北門へ走った。
返札を待つ間に、もう一つの期限を閉じることにした。
◇
|火酒《ひざけ》の大瓶は、四本とも施療院の鍵棚にあった。
空瓶が二本。未開封が一本。最後の一本には、五分の二ほど残っている。
試験を始める前に、小さな薬杯一杯以内は注ぎ残りによる計量の許容差と決めていた。使用帳と実残量の差は、その内に収まった。
「傷には注いでいない。飲ませてもいない。火のそばへも出していない」
セルマが、空瓶まで机へ並べる。
「使ったのは、石鹸と水で洗って乾かしたあとの手と、煮られない器具を洗って乾かしたあとの拭き取りだけだ。これで病が減ったとは、わたしは書かないよ」
一か月で、飲用、火事、傷への直接使用、残量の不明な減りはなかった。
事故もなかった、とは書けなかった。
「小分け瓶の札が、一度外れた」
担当の薬師が濡れた木札を出した。洗い場の水を吸い、紐が緩んだという。気づいた時点で使わず、瓶ごと隔離してセルマへ申告した。中身は同定できなかったが、取り違えたまま使う事故は起きていない。
隔離した一杯は残量を照合してから捨て、使用帳の〈廃棄〉欄へ記した。
「黙って結び直せば、無事故にできました」
薬師が言う。
「しなかった。なら、次の決まりに使える」
俺は朝の可用札を思い出した。
報告した者を、事故を起こした者と同じ欄へ入れれば、次から札は外れなくなるのではない。外れた札が、報告されなくなる。
セルマは継続条件を読み上げた。
施療院の中だけ。扱うのはセルマと指名した二人。鍵棚。火気と飲用は禁止。傷へ使わない。
用途は、洗って乾かした手と、煮られない洗浄・乾燥済み器具の|清拭《せいしき》補助だけ。拭いたあとは自然に乾かす。小分け瓶は首札と|封蝋《ふうろう》印の二か所へ同じ番号を残し、出した量と戻した量を毎回記す。
「札が一つでも外れた時、残りが許容差を超えた時、飲んだ時、火へ寄せた時、傷へ使った時は、そこで止める」
「一般販売は」
「許さない。ほかの施療院へ配るのも、薬だと言うのも、まだだ」
条件付き継続。
一般販売の許可ではない。売上もない。残る分を使い切るか、さらに三十日が過ぎた時に、もう一度止めて照合する。
次の四本を足すなら、別の仕込みとして同じ検めからやり直す。
空瓶二本も、残量照合のため鍵棚に置く。四本すべて、リヒト商会所有の試験預け品のままだ。
「分からん物を、なかった物にせんのは、朝の蔵と同じじゃな」
ガルムが言う。
セルマが四本を棚へ戻す。条件札にはセルマ、俺、バルツァーの印が並び、扱う薬師二人の名は別の当番札へ記した。組合書記が控えを持ち帰る。
◇
主計蔵へ戻ると、照会に出た騎兵の馬が表で息を整えていた。男も膝まで泥を跳ね上げている。
荘代の返札には、七百二十袋の現物があり、所有者たちが市場相当の値で売る意思を持つ、と書かれている。
種、荘民食、引渡し先の決まった分とは別の札。明日の検品まで取り置き、引渡しと支払は現地で行う。
麦は見つかった。
「では、二百八十を先に」
若い主計が立ち上がる。
「荷車は出せません」
騎兵は、返札の下から泥の付いた道路札を出した。
北街道は通れる。止まっているのは、街道から第三荘倉へ入る|荘道《しょうどう》だった。
「低い所へ試しに入れた空荷車が、軸の近くまで沈みました。荘代は積載車を止めています」
「原因と、ほかに通れる場所は」
「現地で見なければ分かりません」
第三荘倉から公道へ出る道で、今使えると確認できたものは一本もない。
第三荘の普段の出荷も、この札で止まっていた。
七百二十袋。俺の頭では三十六トンほどになる。一台へ八から十袋なら、延べ七十台を超える仕事だ。
HMMWV一台で、蔵の毎日を置き換える量ではない。
格納庫には、二百八十袋を収める余地がある。だが、まだ検品も売買も済んでおらず、他人の麦を収納する同意札はない。
明日、札と支払に加え、所有者と北門の荷改め札が揃えば、不足分は俺が一便で先に運べる。それで城下の三日を買う。
「残りも、同じ一便へ入りますの?」
「容量には入ります」
「ならん」
バルツァーが止めた。
「二百八十は、三日を切らさんための緊急渡しじゃ。そこまでなら組合も特例の札を出す。残りまで、お主しか開けられん蔵へ隠せば、|秤《はかり》も蔵番も要らんことになる」
残る四百四十袋と、第三荘の次の出荷は違う。俺一人が毎回、蔵と城下を往復する仕組みにはしない。
「買付けは止めますの?」
リーゼロッテが|訊《き》く。
「止めません。明日、現物と札を確かめて買います。最初の二百八十は格納庫で運ぶ」
「運ぶ道は」
俺は泥の付いた道路札を、第三荘倉の返札の横へ置いた。
「その三日の間に、誰でも通れる道を買います」
麦はあった。
蔵の外に、荷車の通れる道がなかった。
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【第27話 収支(AP)】
期首 24,615
収入 0
支出 45
期末 24,570
累計 99,315/システムLv3
【第27話 現地通貨】
期首 自由金 銀貨14枚+銅貨12枚
収入 0
支出 0
期末 自由金 銀貨14枚+銅貨12枚

