最近の体調のこと
正直に書くと、ここ最近はあまり調子が良くない。
3月の終わりにレキサルティという薬が0.75mgから1mgに増えた。主治医と相談して、「週に1回くらい重たい日がある」という話をしたら、少し増やしてみましょうということになった。
増薬してから数日は、力が入りにくかったり、お腹の調子が悪かったりした。薬が変わるたびにこういうことがある。分かってはいるけど、体がついてこない日が続くと、さすがにしんどい。
出勤できる日もあれば、朝から体が重くて布団から出られない日もある。出勤できた日でも、一日中眠たくてボーっとしていたりする。カフェインで無理やり起きている感じだ。
そして休んだ翌日は「昨日休んでしまった」という罪悪感で、さらに気持ちが沈む。この繰り返しが、地味にきつい。
薬の変遷を振り返る
不安障害と診断されてから、僕の薬は何度も変わってきた。ざっくり振り返ると、こんな感じだ。
最初はスルピリドとセルトラリンから始まって、途中で量を調整しながら、数年間はそれで過ごしていた。ただ、2025年の終わりからまた体調を崩し始めた。
朝が重い。出勤する気力が出ない。不安が強くなる。そういう日が増えてきて、年明けにクエチアピンとデエビゴが追加された。ただ、これが僕には合わなかった。朝にフラフラする、まるでお酒に酔ったような感覚が出てしまった。
そこからレキサルティに切り替わった。やる気は少し出てきた気がしたけど、今度は眠れなくなった。午前2時に目が覚めて、そこから朝まで寝られない日もあった。量を調整して、少しずつ睡眠は安定してきた。
さらに3月には、セルトラリンからエスシタロプラムに変更になった。これは結構良かったと思う。体調が良い日が明らかに増えた。
でも、完全には安定しない。週に1回くらい、どうしても重たい日が来る。それで今回、レキサルティをさらに増やすことになった。
こうして書き出してみると、ここ半年くらいで5回も薬が変わっている。合う薬を探す作業って、本当に地道だ。「これでいけるかも」と思っては、また調整。その繰り返し。
休みが続くことへの怖さ
体調の波があるから、どうしても休んでしまう日がある。
職場には配慮してもらっていて、負荷の軽い仕事を任せてもらっている。それなのに休む。申し訳なさと、情けなさが同時に来る。
休みが続くと、当然ながら立場は厳しくなる。有給でなんとかしのいでいるけど、それも無限ではない。「このままだと、本当にまずいことになるかもしれない」という恐怖が、常にどこかにある。
せめて毎日出勤できるようになれば、と思う。でも、朝になってみないと分からない。前日にどれだけ寝ても、起きた瞬間に「今日は無理だ」となる日がある。自分でもコントロールできない。
だからこそ薬を調整しているわけだけど、すぐには結果が出ない。もどかしい、、、
AIで何かできないかと足掻いている
こういう状態だから、正直、会社だけに人生を預けるのが怖い。
自宅でも稼げるスキルを身につけたいと思って、AIを使っていろいろ試している。ブログもそのひとつだし、小説を書いたりもしている。
ただ、最近強く感じるのは、AIは道具であって、魔法の杖ではないということだ。
どれだけ優秀なAIを使っても、結局は使う側の「中の人」次第なのだと分かってきた。AIに何を聞くか、どう指示を出すか、出てきたものをどう使うか。そこに自分の力がないと、何も生まれない。
経費ばかりが増えていく感覚もある。サブスク代は毎月出ていくのに、成果はまったく出ていない。正直、赤字だ。
でも、やめる気はない。今の僕にとって、AIで何かを作っている時間は、数少ない「自分がまだ動けている」と感じられる時間だから。うまくいかなくても、手を動かしている限りはゼロではないと思いたい。
今、思っていること
何もかもうまくいかないと感じる日が多い。体調も、仕事も、副業も。
人にうまく伝えられないのもしんどい。もともと喋るのは得意じゃないのに、頭が回らない日はなおさらだ。言いたいことの半分も言えないまま会話が終わる。
自分は何がしたいんだろう、とふと考えることがある。答えは出ない。
ただ、出勤できる日は出勤する。薬が合うことを信じて飲み続ける。AIでできることを探し続ける。今の僕にできるのは、たぶんそれくらいだ。
劇的に変わる日が来るかどうかは分からない。でも、とりあえず今日も動いた。それだけで、まぁ、ぼちぼちやれているということにしておく。
※この記事は、同じように体調の波と闘っている方の「自分だけじゃないんだ」という気持ちに、少しでもなれたらいいなと思って書いています。

